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礼拝メッセージより
「サラの死」 2008年8月10日
聖書:創世記 23章1-4節、16-20節
寄留者
アブラハムは神の呼びかけに応えて故郷を離れてカナンの地にやってきていた。何才の時にカナンにやってきたのかは分からない。100才の時サラとの間にイサクが生まれた。
ずっと土地を持たなかった。
初めて土地を持ったきっかけが妻サラの死だったようだ。その時サラは127才だった。寄留者であるアブラハムは土地を持つことが難しかったのかもしれない。相当な財産を持っていたようなのでお金がなくて買えなかったわけではなかったのだろうと思う。けれども30年や40年経っても、やはりまだよそ者であったということなのかもしれない。
けれども妻のサラが死んだことでアブラハムはついに自分の土地を持つことになる。やはり妻は自分の土地に葬りたかったということか。
サラ
アブラハムと共に故郷から見知らぬ所へやってきた。
なかなか子どもが生まれないという苦しい時を経験した。
90才近くになってから、来年子どもが生まれると言った神の約束を笑ったこともある。そして笑っただろと言われて、笑ってないなんて答えたこともあった。アブラハムもその前に同じように笑ったみたいだが。
激しい嫉妬心を持っていたようだ。自分たちに子どもが生まれないために奴隷のハガルにアブラハムの子どもを生ませようとした。ところが妊娠したハガルが自分を軽んじたと言ってハガルに辛くあたるようになり、そのことからハガルがサラのもとから逃げて荒野をさまよったこともあった。
ハガルがアブラハムとの子イシュマエルを生み、自分もイサクを生んでからは、イシュマエルがイサクをからかったことから、ハガルとイシュマエルを追い出すようにとアブラハムに言って、ハガルとイシュマエルは追い出されて、それ以降別々に生きるようになったようだ。
神の約束の土地にやってきていたアブラハムとサラだったが、二人がただ神の約束を信じる信仰深い純粋な人間という訳ではなかった。そして何事もなく人生を送った訳ではなかった。
神の約束があるからと言ってなんの心配もなく過ごして来たわけではなかった。むしろその約束はどこにあるのか、その約束はどんな風に実現するのかと悩み、なかなか実現しない約束に苦しむ、そんな波瀾万丈の人生を送ってきた。
きっとそんな大変な人生をアブラハムはサラと一緒に送ってきた。そしてサラが127才の時にサラは死んだ。その時アブラハムはサラよりも10才年上なので137才ということになる。
死
配偶者の死は人生の中で一番のストレスなのだそうだ。離婚よりも大きなストレスがかかるそうだ。
悲嘆に暮れる暇もなく葬りをしないといけない。
昔どこかで読んだ牧師の話し。その人の葬儀に出席していた。禅宗のお寺での葬儀で、遺族は家族を亡くしたということでとても悲しんでいてずっと泣いていた。そして葬儀の中でそこの住職は大きな声で「喝」と言ったそうだ。それを聞いた牧師はえらく感動したそうだ。いつまでも泣いてはいられない、あなたたちはこれからも生きていくんだ、というような意味での「喝」という声だったように聞こえたらしかった。
家族を亡くすということは大変なことなんだろう。特に愛する妻を亡くすということはなおさらなんだろう。けれどもやはり残された者はそれからも生きていかないといけない。いくら悲しくてもまたご飯を食べて、やるべきことをやっていかないといけない。
アブラハムにとってまずすることはサラを葬る場所を確保することだった。
交渉
そこでアブラハムは「遺体の傍らから立ち上がり」、墓地を譲ってくれるようにとヘトの人々に頼む。ヘトの人たちは昔からその地方に住んでいる人たちで、その中のエフロンという人の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲ってくれるようにと頼んだ。
しかしエフロンはその畑は差し上げますから早速葬ってください、と言う。
アブラハムは何とかして代金を払わせてくれと言う。
するとエフロンは、あの土地はたかが銀400シェケルなんだから、それ位のものをいちいち受け取らなくても結構、すぐに葬ってくださいと言う。
それを聞いたアブラハムは400シェケルを払ってエフロンから畑を買い取った。
ヘトの人々が最初にアブラハムに対して、あなたは神に選ばれた方ですと言ったり、エフロンも始めにご主人様なんて言ったりしているが、どうやらこれはただの社交辞令らしい。みんながいる前で交渉するのは当時の契約の方法だそうで、始めに差し上げますからというのも、相手が正式に自分のものとしたいと分かっているからそう言ったまでのことのようだ。そして銀400シェケルが何ほどのものかと言っているけれども、これも法外な金額だと言う説もある。普通ならば最初に400シェケルとふっかけておいて、それから交渉していってだんだんと値段を下げていく、という風になるようだ。
ついでに言うと、アブラハムは洞穴だけを買えばそれで良かったのだが、畑も、生えている木も買うことになった。それは、当時は土地の一部だけを他に者に譲っても、もともとの持ち主が税金を全部払う必要があったため、という説もある。
エフロンは言葉は丁寧だけれども、実は結構したたかな人だったようだ。
しかしアブラハムは相手の言い値でその畑を買った。後々とやかく言われることがないように、なんの文句も出ないように言い値で買い取ったということなのかもしれない。
葬り
そうやってついにアブラハムは神の約束の土地であるカナンに自分の土地を手に入れることになり、マクペラの畑の洞穴にサラを葬った。
寄留者であったアブラハムがついに約束の土地に拠点を持つことになったということでもあるのだろう。
墓はなんであるんだろう、と常々思っている。ネットを見るとほとんどは供養のため、墓参りをすることは亡くなった者にとっても墓参りをする者にとっても徳を積むことになる、そのための墓だというようなことがよく書かれている。宗派によっていろいろと違うみたいだ。
一緒にここに入ろう、とかいう墓地の宣伝もあるけれども、死んだらそこにずっといるんだろうかと疑問に思う。
では墓ってなんなんだろう。そこにいないとしたらそこに会いに行くというわけでもないみたいだし。だとしたらその人が生きた証し、生きていた証しということなんだろうか。
残された者が悲しむ場所かもしれないと思う。実は思いっきり悲しむことを保障されている場所、そこが墓なのかもしれない。