社会と私


 私の若い時の職業は、機械工でした。1日中、機械相手の仕事ですから、他人との会話はあまり必要ではありませんでした。生まれつきの性格とも相まって、何か冷たい人間のようですね!でも、他人の言葉にあまり左右されないと言う長所でもあります。
 現在の家庭生活一般の状況は、核家族が大部分で、老人と子供らが一緒に生活する家族は少なくなっています。その上隣近所との交わりも薄く、言葉を交わす時間さえも少なく、また、言葉を掛けなくても日常生活にあまり支障の無い時代と言えます。私とて例外にもれず、そのような生活に慣れたせいでしょうか、孤独な生活でもあまり苦にはなりません。
   けれどもキリスト者としては、どうでしょう。それではいけないと思うのです。イエスはこのように言われます。『全世界を巡りて、全ての造られしものに、福音を宣べ伝えよ』と。その為には、できるだけ多くの人々との交わりが必要です。その様な機会を作る事も大切です。自治会の世話役や、公民館活動、趣味の会などを通して、様々な人々と知り合って行く事により、多少とも信仰について話す機会があるようにしたいものです。
 体裁の良い事を申しましたが、なかなか自分がキリスト者で在る事を、声を大にして宣伝しておりません。(不信仰のせいでしょうか)しかし、長い年月の間には何時とは無しに「私が教会に行く人だ」と知っているようです。【天知る地知る、人知る我知る】です。天が下に隠れるところは在りません。
 最後に私が最近読んだ本の中から、一番心に残った言葉を紹介したいと思います。遠藤周作さんの「深い河」の中で一人の神父希望の青年が言いました。『私が神を捨てようとしても、神様が私を捨てないのです。』

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