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礼拝メッセージより
説教題:「ふるさと」 2001年7月1日 聖書:ヨハネによる福音書 14章1-14節
家
家が安定していない子どもは、昼間は楽しそうにしていても夜はこわい。いつも不安を抱えている。
生活が不安定な時の旅はおもしろくない。楽しめない。
私たちの毎日帰るところはそれぞれにあるだろう。では私たちの魂の家というような所はあるだろうか。そこは一体どこなのだろうか。
イエス・キリストは、わたしの父の家には住まいがたくさんある、という。場所を用意しているというのだ。天国にイエスは私たちの場所を用意してくださっている。
天国
それは死んだ後の世界に限定されない。イエスが、私がいるところにあなあたがたもいることになる、と言われるその場所が天国だ。イエスと共にいる所、そこが天国なのだ。死んだ後も、そして死ぬ前もイエスと共にいるなら天国なのだ。
道
ならばその天国にはどうすればいけるのか。
イエスは、わたしは道であり、真理であり、命である、という。私たちの人生で進むべき道はどこなのか、イエスが招いておられるその道はどこなのか、弟子のトマスはイエスに尋ねた。イエスは私が道であるという。ならばイエスにくっついていればいいということか。
昔友だちの下宿を尋ねたことがあった。電話で道順を聞いて、初めての所を尋ねた。なかなか難しい。友だちが、電話で道を教えたと周りの者にいったら、みんな無理だといったらしい。あいつなら来るとその友だちは答えたらしいが。
知らないところへ行くのに電話で、この駅を降りて、左へ行って、2つ目の信号を左に曲がって、次の角を右に曲がって、、、と言うことでいくのは確かに難しい。イエスは私たちに対して、電話でいうようにしたのではなかった。私たちの人生を、ここでどうして、ここはこうして、と遠くから指示したのではなかった。イエスは私たちと共にその道を進み、私たちの手を引いて導く、そんな仕方で私たちを招いている。私たちが何処の角をどちらに曲がるかをしらなくても大丈夫なのだ。イエスについていけば、イエスと一緒にいればいいのだ。イエスの方から迷っている私たちを探し出して、そして私たちをご自分の所へ導いてくださっているのだ。
不明
私たちにはわからないことがいっぱいある。死ぬときどうなるのか、死んだ後どうなるのか、はっきりとは分からない。先に召された方たちはどこでどうしているのか、ここでこうしてます、という明確な答えを私たちは知らない。しかし、イエスが私たち全てのもののために場所を用意してくださっていること、そしてイエスと共にいることができるようにしてくださっていること、このイエスについていけば大丈夫であるということ、そのことは分かっている。 イエスは道であり、真理であり、命なのだ。そのイエスが私たちのことを、また先に召された方たちのことも、愛してくださっている、大事にして、何とか自分と一緒にいようとしてくれているのだ。
生きる上ではいろいろと苦しいこともしんどいこともある。しかし私たちには帰るべきふるさと、帰るべき家が用意されているのだ。神のもとに私たちの場所もすでに用意されているのだ。安心して休むことのできる場所を用意されている。ここで休みなさい、とイエスは私たちも招いてくれている。イエスの手に抱かれて私たちも休むことができる。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい、休ませてあげよう、とイエスも語っている。そんな天国がもうすでにここにあるのだ。先に召された方たちもそんな風にイエスと共に憩う時を持っていたことだろう。そしてそこで生きる力を貰っていたのだろう。イエスは命なのだ、命の源でもあるのだ。
だからこそ、心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい、とイエスは言われる。
私たち誰もがそれぞれにいろんな苦労を負って生きている。私の苦労は誰よりも大きい、あなたのは苦労なんて言うほどのこともない、という風にみんな思っているみたいだが、そんなのは比べようがないだろう。どんな苦労もその人にとっては一大事なのだ。苦労の連続で疲れ切ってしまって、もうとても生きていられないと思うような人生を送っている人もきっといるだろう。
しかしイエスは言う、あなたのために私たちは場所を用意した、私と共にいるための場所を用意した、だから私と共にいて、私のもとで休みなさい、私のもとで命を得なさい、私のもとで生きる力を取り戻しなさい、イエスはそう言われているに違いない。私たちにはそんな帰るべき家があるのだ。ゆっくり休む家があるのだ。いろんな大変なことが待ちかまえている人生だ。しかし私たちのふるさと、安心できる居場所はしっかりと用意されているのだ。
道であり真理であり命であるイエスが、神であるイエスが私たちのことを心配し大事に思ってくれているのだ。だから心配しないで、心を騒がせないで、このイエスについていこう。
この先人たちのように。