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礼拝メッセージより
説教題:「終末へ」 2000年10月22日 聖書:ヨハネの黙示録 6章1-17節
終末へ
ここには終末を迎える前に起こるであろう事柄が言われている。
白い馬
弓は軍事力を意味する。白い馬と弓を持つ騎手は、軍国主義と軍事力による征服をあらわす。
赤い馬
人間関係の崩壊。ねたみや争いが地上に満ちるということだろう。
黒い馬
飢饉。通常1デナリオンで12コイニクス位。それが1デナリオンで1コイニクスということだから12倍位になっているということ。それくらい食料が足りなくなっている。1コイニクスは昔の人の1日分の食料。1デナリは一日分の賃金。1日の賃金でひとり分の食料しか買えない状態。
青白い馬
死と疫病。しかし地上の四分の一だけでまだ完全な滅びの時ではない。
殉教者の魂
祭壇の下に見たという。ユダヤ人にとって犠牲としてささげた動物の最も神聖な部分は血であった。血は命であり、命はただ神に属していた。
殉教者の魂が祭壇の下にあるということは、殉教者は神に対するささげものとなっている、ということだ。ささげものとして神に受け止められているということだ。
殉教者の叫び
その魂が、いつまで裁きを行わず、復讐をしないのかと叫んだ。すると一人一人に白い衣が与えられた。白い衣とは天上界の一員であるという徴だそうだが、まだしばらく静かにまつようにと告げられる。神の民が地上で苦しむのを見かねて早く終末を、と殉教者の叫びに対してもまだ待つようにといわれる。
天変地異
その後に大地震が起き、太陽が暗くなり、月が赤くなり、天の星が地上に落ちて点が消えた、また山も島も移動したという。何もかもあらゆるものの秩序が乱れ全てのものが崩れ去ってしまったということのようだ。
そこで地上の全ての人々は洞穴や山の岩間に隠れて、山と岩に助けを求める。玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから私たちをかくまってくれと言うのだ。神の顔を見なくていいようにしてくれ、小羊の怒りから守ってくれというのだ。
しかし神と小羊の怒りの大いなる日が来たからには誰が耐えられようかという。総ての者が神の裁きを受けねばならない、その時がやがてやってくるというのだ。
苦難
当時の教会の人たち、現実にいろんな迫害や苦しみのある中でこの黙示録を聴いている人たちはどういう気持ちで聴いたのだろうか。
世の中にはいろんな苦難がある。生きていく上ではいろんな苦しみがある。どうしてそんな苦難があるのか苦しみがあるのか、私たちにはその原因はよくわからない。黙示録では、終末の前にいろんな苦難があることが書かれている。そしてその苦難の原因はいろんな色の馬のためであるという。そして神は裁きの時をまだ待つようにと言われているというのだ。
現実の苦しみもまだしばらく続きそうである。終末は、神の裁きはまだ少し先になりそうであるというのだ。苦しみはまだ終わらないということだ。しかしそれは神が待つようにといわれた時までであるというのだ。苦しい中にあるけれども、それは神から捨てられた苦しみではない。神に見られている苦しみであるのだ。その苦しみも神は見ているというのだ。苦しみの中にあるけれども、それも神の手の中にある苦しみであるということだ。
見えるもの
また苦しみの原因は馬であって、苦しんでいる者にあるのではないということだ。何か悪いことをした罰として苦しみにあうというのではないということだ。しかし天上の馬が原因といっても地上に住む私たちにとってはいわれのない苦しみであるとしかいえないだろう。
しかしそんないわれのないような現実の目に見える苦しみのさらに外側から神は私たちをその手で支えてくれているということだろう。私たちは目の前の苦しみに目を奪われて力をなくしてしまいそうになる。とてもひとりで太刀打ちできそうもない苦しみに圧倒されてしまいそうになる。しかしその見える苦しみのさらに外側には神の見えない手が私たちを支えており、神の目が私たちを見つめていてくれているのだと思う。
Tコリント10:13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。