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礼拝メッセージより
混沌
いまだに戦争は続いている。戦争はいつまでたってもなくならないのだろうか。なんとなく人間は時代と共に成長して戦争もなくなっていくのかと思っていたけれど、いつまで経っても同じようなことの繰り返しなのかなという気になっている。
シリア・エフライム戦争に際して南ユダのアハズ王は、防衛戦争に徹するべきだというイザヤの助言に従わず、アッシリアに助けを求めて助けられた。アハズ王はダマスコを占領してそこに駐留していたアッシリアのティグラト・ピレセル王を訪問し、そこで見たアッシリア風の祭壇の見取り図と造り方をの説明書をエルサレムに送り、それをエルサレムに造らせた。
イザヤはアハズ王の時代には自分の助言が聞かれず苦しい立場にいたようだ。そんなこともあってイザヤは次の王であるヒゼキヤに期待していたようだ。ヒゼキヤの即位が何年だったかというのはいろいろな説があるそうだけれど、ある注解書では紀元前728年ではないかとあった。そうするとヒゼキヤが即位したのは5歳の時となるそうで、だからこそイザヤは「ひとりのみどりごわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」と、ヒゼキヤに期待を込めてそう語ったのだろうと書いてあった。
またそのころには、アッシリアに依存する政策を誤りだとする勢力が宮廷に結集してきたので、ヒゼキヤも治世の前半はイザヤの助言に耳を傾けていたのではないかと書いてあった。
北イスラエル王国はしばらくアッシリアに抵抗していたけれど紀元前722年に滅ぼされ、支配階級の多くがアッシリアに補囚として移され、逆にアッシリア側からの移住者がやってきて、北イスラエルの人たちと融合して後のサマリア人となったとされているそうだ。
北イスラエルの滅亡は南ユダの人たちにとっても大きな打撃となって、次は自分達が滅ぼされるのではないかという不安が広がったと考えられるようだ。
その後地中海沿いのアシュドドという都市を中心に、バビロンを含む数カ国がアッシリアに反乱を起こしたそうだ。ユダにも参加を求められたけれどイザヤは強力に反対し、3年間の間はだしで補囚の姿となってエルサレムの町を歩き回って、反乱に加わるとこんなことになると警告して、ヒゼキヤ王もイザヤの進言に従ったそうだ。
イザヤは政治的に中立政策を取ろうとしてきたけれど、ヒゼキヤが30歳頃の働き盛りになると、遂にそれまでにアッシリアの圧迫をはねのけようとして、イザヤの忠告に逆らってバビロンの誘いにのって反アッシリアの軍事同盟に参加することになり、逆にアッシリアに降伏するなんてことになったそうだ。
見える世界
パレスチナは北の方ではアッシリア、後にはバビロンという国が興り、南にはエジプトがあるという、強い国と強い国の間に挟まれた地域だった。
ずっと強い国の脅威にさらされていたようだ。見えるものは恐怖ばかり、不安なことばかりというような状況だったのだろう。
神が守ってくれるから大丈夫だ、と言われてもそんな証拠はどこにあるのか、そんなものは何も見えないというような状況だ。
イザヤが、その日には神の驚くべきみ業が行われるなんて言っているけれど、実際に見えるものは外国の脅威であり、貢ぎ物を寄越せという圧力ばかりというのが実情だったのだろう。
最初今日の箇所を読んだときに何も感じなかった。すごい、こんなことになるんだ、なんてことはちっとも思わなかった。正直言ってただの綺麗事というか、夢物語みたいな感じしかしなかった。
こんなこと信じられない、本当にこんことになると信じられる人いるんだろうかなんて思った。
希望
私たちもいろいろと思うようにいかない、思い通りに、願いどおりにいかないことをいっぱい抱えて生きていると思う。目に見えるものは恐れと不安ばっかりなんじゃないだろうか。
神の守り、神の支え、それが一体どこにあるのか、全然見えないというのが正直なところなんじゃないかと思う。証拠があれば安心できるのような気もするし、証拠らしきものがあれば安心できるような気もする。でもやっぱり一所懸命に捜してもなかなか見つけられない気もする。
見えない、捜せない、でもそこにある、ここにある、神の守り、神の支えとはそんなものなんじゃないかという気がしている。
人間にとって希望は大事だ、希望がないと生きていけないと思うし、希望を持つことで人生は変わると思う。
いつも希望を持てるような出来事を探し求めて来たように思う。礼拝の人数が増えたとか、思わぬ収入があったとか、そんな目に見える良いことに希望を見出そうとしてきたように思う。でもそんな良いことはあまり起きないし、良いことがないことでどんどん希望を無くしてしまっているのが現状だ。
でも実は一番大事な希望は見えない所にあるんだろうなと思う。
見えない、触れられない、感じない、けれども神はここにいる、共にいる。希望の源はそこにあるのだろう。一見頼りない、でも一番強固な確かな希望はそこにあるんだろうと思う。