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礼拝メッセージより
何?
僕は昔から歴史の授業が苦手でした。年号とか人の名前とか、とにかく覚えないといけないことばかりで、闇雲に覚えるというのがとても苦痛でした。
高校では世界史という授業があって、世界史のテストは赤点ばかりだった記憶があります。確かそんな成績だったからだと思いますが、ある時世界史の補習を受けないといけなくなった時に先生から、「浅海、なんとか人はセム語族?、ハム語族?」なんて聞かれてさっぱり分からなかったという記憶があります。セム語族とかハム語族とか、全然理解してなかったんですが、その言葉だけは不思議と覚えていて、セムとかハムとか、それがノアの子供達の名前だと知ったのは随分後のことでした。
最初に言っておきますが、今日の話しは世界史が分からなかったように、何が言いたいのか本当によく分かりません。ナニコレ?一体何が言いたいの?って感じです。
書いてあることは内容というか言葉は分かります。洪水を生き延びたノアはその後農夫となってぶどう畑を作り、そのぶどうからぶどう酒を作り、ぶどう酒を飲み過ぎてしまったのか酔っ払って裸で寝てしまった。それを見た末息子のハムは兄達にそのことを告げると、兄達は着物を取ってきて掛けた。
酔いから醒めたノアはハムがしたことを知ってハムの息子であるカナンのことをセムの奴隷となれと言って呪ったという話しだ。
疑問だらけ
内容というか、日本語の言葉自体は分かりますが、疑問だらけです。
父親の裸を見ることは悪いことなんでしょうか。それを兄に告げたのが悪いのでしょうか。告げ口しないで自分で服をかけてあげれば良かったとは思いますが、だからといってお前の子供は奴隷になれ、なんてことを言われるほど悪いことなんでしょうか。また兄達も着物を肩に掛けて後ろ向きに歩いて行って父の裸を見なかったと書いてあるけれど、裸を見るということがそんなに悪いことなんでしょうか。
裸を見るということは、父親の醜態を知るということであって、ハムはその醜態を暴露したけれど、兄達は覆い隠した、つまりハムは父親の尊厳を守らなかったけれど、兄達は父親の尊厳を守ったということではないかという説明があって、それなら分からないでもないかなという感じです。だからといって呪うことの程でもないだろうという気はします。
そもそも裸で寝ていたノアの方にこそ落ち度があって、子供を責めるより飲み過ぎた自分を恥じるべきなんじゃないかと思ったりもします。
本当によく分からない、どう考えればいいのかよく分からない話です。
カナン
18節にハムはカナンの父であると書いてあって、ノアが奴隷となれと言ったのもカナンでした。
カナンはユダヤ人が出エジプトした後に目指した土地で、そこを征服するために住んでいたカナン人たちと戦うことになりました。その後もカナン人たちの信仰する宗教の影響を受けて偶像崇拝をするようなこともありました。
旧約聖書では洪水でノアの家族以外の人類は全滅して、洪水後の人類はノアの家族から広がっていったことになっています。ハムの子孫はエジプトやアッシリア、カナンの諸民族だそうです。一方ユダヤ人はセムの子孫ということになっているそうです。つまり後々ユダヤ人を苦しめたのがハムの子孫ということになります。
後々の対立の原因はこういうことだったという説明がこの物語であるようです。
自分達ユダヤ人を苦しめる民族がどこから出て来たのか、そしてどうしてそんなことになっているのか、その説明がここにあるということなのでしょう。洪水後はノアの子孫しかいないことになっているので、カナン人もノアの子孫ということになる。そのカナン人が自分達に敵対しているのはハムがノアの尊厳を守らなかったからだ、彼らはそこでノアに呪われた民となってしまったのだ、カナン人は父親の尊厳を守ったセムの子孫である自分達ユダヤ人の奴隷となる民なのだ、というようなことを言いたいんだろうなと思います。
またカナン人たちの宗教は酒に酔って陶酔し、性的にも乱れていたそうで、そういうことに対する批判も込められているのかもしれません。
この話しが書かれた当時の状況を反映している物語なんだろうと思います。
呪い
カナン人が呪われた民となったことになってますが、この呪いはノアの呪いだけれと神の呪いではないと言っている人がいました。
洪水の後、神は人間に祝福を与えようとしたけれど、人間の勝手な思い込みによる呪いが、争いや対立を引き起こしてしまったということを現しているのではないかと言っていました。
何なんでしょう。やっぱりよく分かりません。分かち合いで教えて欲しいと思います。