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礼拝メッセージより
エルサレム
エルサレムに近づいたときイエスは都のために泣いたという。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたら」とあるが、エルサレムという言葉が平和の町という意味なのだそうで、そんな良い名前なのにというような嘆きであるようだ。
当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあったが、紀元66年にローマの総督が神殿の宝物を持ち出したことをきっかけに反乱を起こしたがローマは鎮圧に乗り出した。エルサレムは紀元70年に7ヶ月間に渡ってエルサレムを包囲された後に陥落し、神殿も破壊されてしまったそうだ。
イエスが十字架につけられたのは紀元30年頃だけれど、この言葉は40年後の出来事を語っているようだ。
商売人
その後イエスは神殿の境内で商売をしていた人たちを追い出したという。
どうでもいいことかもしれないけれど、ルカによる福音書では商売人を追い出したとしか書いていないが、マタイによる福音書(21:12)では追い出しただけではなく、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒されたと書いてある。マルコによる福音書(11:15)では両替人の台や鳩を売る物の腰掛けをひっくり返したと書いてある。マルコが一番激しい感じ。
神殿の境内に「異邦人の庭」というのが神殿から離れたところにあり、そこに許可を受けた商人、動物商、両替屋などがいたそうだ。
商人はそこでぶどう酒、犠牲のための動物など祭儀に必要なものを売っていた。両替人は外国の貨幣を神殿奉納に指定されていたシケルというお金と両替していたそうだ。神殿にそうやって両替してくれる人がいることで助かっていたのか?と思うとどうやらそうではないらしく、両替のために高額の手数料を取られていたそうだ。
また犠牲のための動物を遠くから持ってくるのも大変で、神殿のすぐそばで買うことができれば面倒もなくて都合がよかったのか?と思うとやはりそうではなく、貧しい人達は鳩を献げていたそうだけれど、その鳩も街中で買えば安く済むけれども神殿で買うと何倍もしたらしい。じゃあ街中で買ってきて献げればいいようなものだろうけれど、神殿で献げるものは傷のないものでないといけないということになっていたようで、そのことを検査する人たちもいたそうだ。神殿で買えばすぐにパスするけれど、神殿の外から持って来たものはなかなかパスしないということだったのかな。
そんな風に神殿の中で商売できるようになればボロ儲けできるようなシステムになっていたようで、その許可を与える立場の神殿の祭司たちもそのおこぼれに預かっていたのだろうと思う。その結果貧しく力のない者たちは苦しめられていたようだ。
怒号
イエスは「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」なんてことを言っている。これは旧約聖書のイザヤ書の56:1-8に「主はこう言われる。正義を守り、恵みの業を行え。わたしの救いが実現し/わたしの恵みの業が現れるのは間近い。いかに幸いなことか、このように行う人/それを固く守る人の子は。安息日を守り、それを汚すことのない人/悪事に手をつけないように自戒する人は。主のもとに集って来た異邦人は言うな/主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな/見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる/宦官が、わたしの安息日を常に守り/わたしの望むことを選び/わたしの契約を固く守るならわたしは彼らのために、とこしえの名を与え/息子、娘を持つにまさる記念の名を/わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集って来た異邦人が/主に仕え、主の名を愛し、その僕となり/安息日を守り、それを汚すことなく/わたしの契約を固く守るならわたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。追い散らされたイスラエルを集める方/主なる神は言われる/既に集められた者に、更に加えて集めよう、と。」と書いてある言葉を引用しているようだ。
また強盗の巣というのは、エレミヤ書7:1-11に「主からエレミヤに臨んだ言葉。主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。そうすれば、わたしはお前たちを先祖に与えたこの地、この所に、とこしえからとこしえまで住まわせる。しかし見よ、お前たちはこのむなしい言葉に依り頼んでいるが、それは救う力を持たない。盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。」という言葉がある。
イエスは、異邦人をも含めてすべての民の祈りの家であるべき神殿をおまえたちは強盗の巣にした、とたぶんすごい勢いで叫んだのではないか。
祭司長、律法学者、民の指導者たちはこれを聞いてイエスを殺そうと謀ったと書いてある。この人たちが神殿を通して権力も富も握っていたということなんだろう。
どこの馬の骨とも知れない若造が、自分たちの利権に対して文句を言ってきてお前らは強盗だなんて言ったわけだ。このまま何事もなければずっと食うに困ることはない、或いはこのまま良い暮らしが出来る、そんな組織を作ってきたわけだ。余計なことを言われたらそんな自分たちの暮らしが脅かされるわけだ。そんな奴を放っておけるわけがない、ということだったのだろう。
おかしいぞ
イエスは、エルサレムに近づいて来たときには泣いたかと思えば、神殿で商売人を追い出して祈りの家を強盗の巣にするとは何事かと叫んだり、とても感情的だ。いつも飄々としているというか、達観しているというか、冷静に醒めた目で世の中を見ているのかと思っていたけれど、案外そうではないのかもしれない。
先ほどのイザヤ書では、主は正義を守り恵みの業を行え、またエレミヤ書では、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流すなと言われている。まるでそうなっていない、逆に貧しい者たちから搾取して自分達だけが良い思いをしていること、隣人を大事にしていないことに対してイエスは心底腹を立てている、そしてそれはおかしいぞと叫んでいるようだ。
少し前から礼拝で聖書教育に従ってルカによる福音書を読んでいて、だいたい最初の方から順番に見ているのに突然19章に移ったのは、今週末が2月11日になっているからのようだ。
「2月11日をキリスト教会では「信教の自由を守る日」として覚えます。国の法律で定められた「建国記念の日」という呼称は、戦前の紀元節の復活であり、戦時中に天皇を神と崇めることを強制され、激しい宗教弾圧が起こったことへの戒めとして、キリスト教会はこの日を「建国記念の日」ではなく、「信教の自由を守る日」にしました。戦前の紀元節とは、日本書紀で最初の天皇とされている「神武天皇」即位の日(紀元前660年2月11日)という神道神話に由来する日であり、天皇が執り行う宮中祭儀と密接に結びついていました。戦前の紀元節では、学校では校長が御真影と日の丸の下で教育勅語を朗読し、君が代を斉唱し、神国日本が祝われた日でした。戦後、国家神道は解体され、紀元節は廃止されましたが、次第に戦前回帰の動きが始まり、1966 年には佐藤栄作内閣の下で、旧「紀元節」が「建国記念の日」と制定されました。その後、靖国神社法案が提出され、元号法が制定、総理大臣の靖国神社公式参拝、君が代・日の丸強制等々の戦前回帰の動きが次々に出てきました。キリスト教会は戦前の軍国主義、世界侵略への反省の意味をこめて、2月11日を「建国記念の日」ではなく、「信教の自由を守る日」として今日に至っています。」
(篠崎キリスト教会のHPより)
イエスは腐敗していた神殿のシステムに異を唱えた、命をかけてそれはおかしいぞと言った。
いつまで経っても世界のどこかで戦争はしてるし、日本でも新たな戦前になってきたなんて話しも聞くようになってきた。私たちはこのイエスの姿を見てどうしていけばいいのでしょうか。
おかしなことに気付く目を持つことと、おかしいことをおかしいぞと言うことが大切なのかなと思う。また私自身におかしなことがあったならば、そのことを改めていく勇気を持つことも大切なことなんだろうなと思う。