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礼拝メッセージより
補囚
バビロニアによってユダ王国が滅亡され、多くの人々がバビロンに連れていかれた。そしてそのバビロニアが今度はペルシアに屈服した。ペルシアのキュロス二世は帰還しても良いという勅令を発布し補囚されていた民はまた自分の国へ帰ることができるようになった。
その後エルサレムの神殿は破壊されてから70年後に再建された。しかし補囚されていた民の中にはユダに帰ることなくペルシアに住み続けていた者もいた。そんなペルシアに住むユダヤ人の中にはペルシアの社会の中で出世し一つの地位を築いていた者もいた。その一人がネヘミヤだった。
知らせ
1章によると、キュロス二世の帰還許可の勅令発布からすでに100年近くになるアルタクセルクセス王の第20年に、そのネヘミヤのもとへハナニという人たちががエルサレムの状況を知らせに来た。そのハナニの話しは、エルサレムの城壁と門が破壊されたままになっているという知らせだった。
それを聞いたネヘミヤは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。自分たちが神の命令に従わず罪を犯したことを神に告白した。そんな民だけれどもどうか助けてください、とネヘミヤは祈った。
応答
献酌官として王の側近として働いていたネヘミヤは、自らエルサレムへ行って城壁を再建しようという気持ちになって、王に対して先祖の墓のある町が荒廃し、城門が火で焼かれたままである惨状を告げ、その町を再建しに行きたいということを願い出る。王はネヘミヤのすべての願いを聞き入れてくれる。
妨害
王はネヘミヤの願いを聞き入れて全面的に協力してくれたようだが、その城壁再建を嬉しく思わない者がいた。2章10節には「ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤは、イスラエルの人々のためになることをしようとする人が遣わされて来たと聞いて、非常に機嫌を損ねた。」とある。そして3章33節以下の所でもサンバラトやトビヤ、アラブ人、アンモン人、アシュドドの市民が城壁の再建を知って憤慨し、ユダヤ人を中傷し、何とかして邪魔をしてやろうと相談したようなことが書かれている。今日のところでも、嘲笑いさげすんだと書かれている。
そんな中でエルサレムにやってきたネヘミヤは、エルサレムで三日間過ごした後に、誰にも知らせずに自分と側近の部下数人だけを連れて、夜中に城壁を調べた。ネヘミヤの乗ったもののほかには一頭の動物も引いていかなかった、なんて書かれている。
ネヘミヤは聞いていた惨状を目の当たりにした上で、彼は人々に城壁を建て直そうと声をかけていった。17節には「やがてわたしは彼らに言った。」と書かれている。やがてがどれ位の時間だったのかわからないけれど、ネヘミヤは城壁の様子を調べた上で、どのように建て直せばいいかということを考えて、またどうやってユダヤ人たちを説得すればいいかということを考えた上で話しをしたということなんだと思う。
再建
しかし城壁の再建なんて恐ろしく面倒で大変なことだっただろう。再建するには昔の残骸を取り除けてから新しいものを建てていかねばならない。新しく作るよりも大変だ。却って新しく作るよりも手間がかかったりする。
兎に角そんな大事業をよくやる気になったなと思う。
前向き
昔、登校拒否をして神経科の病院に入院してたとき、そこに勤めていた人が、何かをしたいと思った時はなるべくそれをしようとしたほうがいい、と言っていた。その人が言うには、自分もいろいろとしたいと思うことがあったけれどもいつもしないできた。今は忙しいから、今は受験生だから、だからもっと暇になったら、と言って先に延ばしてきた。でも結局それはできないできた。そうやって自分でいろんな口実を見つけてやらないできてしまたった。だからあなたはやりたいと思ったことを、口実をつけてやらないのではなくてどんどんやっていった方がいいと思う、ということだった。
失敗することや間違うことを恐れているのかな。そのことを責められることや見下されることを恐れているのかな。そもそも失敗したり間違ったりする自分を自分で認められないでいるような気もする。だから失敗したり間違ったりしそうなことには極力近づかないようにしている。
イエスマン
昔にしたメッセージで「イエスマン」という映画のことを紹介していた。
『銀行員のカールはいつもいつもプライベートでも仕事でも答えは「NO」と言い、友人との付き合いや様々な勧誘・職場の個人融資の審査などあらゆることを断る生活を送っていた。カールは3年前の離婚を引きずり親友・ピーターが婚約を発表するが喜べず、職場では上司・ノーマンから昇進話がダメになったと伝えられる。そんな中カールは、知人のニックから「“イエスマン”になって人生が変わった。お前も人生を楽しめ」と怪しげなセミナーの冊子を渡される。人との付き合いを断り続けて孤独死する夢を見たカールは将来が不安になり、見学のつもりでセミナーに足を運ぶ。
大勢の参加者がホールに集まる中、ステージに現れた代表・テレンスが初めて参加したカールに目をつけ対面式でイエスマンについて説く。テレンスはカールに、今後決断を迫られた時「イエス」といえば人生がすべて変わると伝える。続けてテレンスは、万が一それ以外の答えを言えば災いが起こると脅かされるカール。その場の雰囲気に押されたカールはイエスの誓いを立てるフリをしてやり過ごす。しかし外に出た直後、ホームレスから車に乗せて欲しいと言われたカールは、そばにニックがいたためつい「イエス」と答えてしまう。
カールは車中でホームレスの男が要求するまま「イエス」と答えるはめになり携帯電話や持ち金のほとんどを渡してしまう。ホームレスを降ろした後ガス欠になり連絡手段もないため数キロメートル離れたガソリンスタンドまでポリタンクを持って歩くカール。イエスマンなんてバカバカしいと思い始めた矢先、ガソリンスタンドでスクーターに乗る若い女性と出会う。置いてきた車の所まで彼女のスクーターに乗せてもらい、話の流れでキスまでしてもらい久しぶりに笑顔が戻る。
その後カールは、ノーマンから休日出勤を頼まれて「イエス」と答えたことで、昇進して給料が上がる。別の日、カールはピーターにこれまでの自分の言動を謝り、イエスマンになったことを伝える。しかしある時隣人からの頼まれ事を断ったカールが、直後に災難に遭うとテレンスの言葉を思い出し考えを改める。カールはこれ以降選択肢には必ず「イエス」と答えるようになり、その後の人生は急展開を迎える。
数日後地元のちょっとしたライブに誘われたカールは、出演者としてスクーターの女性・アリソンが歌っているのを見つけて再会。カールは、彼女の仕事であるジョギングフォトに参加したり、二人で野外コンサートホールに忍び込んで二人だけの時間を過ごし親しくなっていく。ある日カールはアリソンと、行き先を決めずに空港から次に出る飛行機に乗るというアドリブ旅行でネブラスカ州に出かける。旅を楽しんだ二人は帰るために空港に行くが、カールがこれまでにイエスマンとして取った様々な行動が裏目に出て不審者として警察に捕まってしまう。弁護士としてピーターを呼び容疑は晴れるが、アリソンに自分の同棲の提案は教えの為に嫌々イエスと答えたのだと思われ、別れを告げられてしまう。 その後も今までイエスと答えて成功していた件が思わぬ事態を引き起こしていき……。』 (ウィキペディアより)
イエスということで何もかもうまくいくというわけではないだろうし、とんでもない大変な目に遭ったりもするんだろうと思う。イエスということで人生が豊かになるというか楽しくなるみたいだなと思った。まだ映画は見てないけれど。
当たって砕けろ
城壁の再建はエルサレムの惨状を聞いたネヘミヤの祈りから始まったと書かれているけれど、その祈りの中でネヘミヤは神からお前がやれ、イエスと言いなさいと言われてそれにイエスと応えたということではないかと思う。
18節に「神の御手が恵み深くわたしを守り」と書いてあるけれど、だからといって何の問題もなく順調に進んだわけではない。敵がいなくなったわけではない、妨害が無くなった訳でもない。そんな中で城壁を再建していった。敵がいるから出来ない、妨害があるから出来ない、と言ってやめてしまった訳ではなかった。ただ神の命令と信じて作業を進めたんだろうと思う。
先日youtube見てたら、待ち合わせに遅れてきた若者に対して「結果が全てだ、途中の経過は関係ない。」と言ってた人がいて、すごく嫌な気分になってそれ以上見るのを止めてしまった。
結果にばかり捕らわれていると失敗することを恐れて何もしないのが一番となってしまう。それが今の自分なのかなという気がしている。
イエス・キリストは、大丈夫やってみなさい、結果を心配しないでやってみなさいと言われているような気がしている。大丈夫、やってみることこそが大事なことだ、心配するな、当たって砕けろ、そう言われているというか、そう言ってくれているような気がする。そう思うとなんだかワクワクしてくる。だったら少しずつイエスと言っていこうかという気になってくる。
当たって砕けた時にも、私たちの神はきっとそこにいてくれている。だから安心して砕けていこう。そしてまたイエスと共にイエスと応えていきたいと思う。