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礼拝メッセージより
バビロン捕囚
バビロニアの国はペルシアによって滅ぼされた。ペルシアは今のイランの辺りの国で、ペルシアの政策はそれぞれの民族の独自性を認めるようなところがあったそうで、バビロンへ補囚されていたユダヤ人たちも故郷へ帰って良いという許可が出た。第1回目のバビロン捕囚から65年後、エルサレム陥落から47年後のことだそうだ。補囚とは言っても奴隷のような状態ではなくて移民としてその土地に暮らすというようなことだったそうだ。50年も60年もその土地に暮らしていると当然根付いてくる。その頃の平均年令がどれ位かは分からないけれど、多分今よりもだいぶ短かったんじゃないかと思うけれど、そうするとその時にはバビロン生まれの人たちの方が圧倒的に多かっただろうと思う。
ペルシアのキュロス王が故郷へ帰る許可を出したけれども、実際に帰った人たちはもともと祭司をしていた家系の人たちが中心で、バビロンに残るユダヤ人たちも多かったそうだ。
そんな中で自分達のルーツはどこにあるのか、はどういう民族であるのか、そして自分達の国がどうして滅ぼされてしまったのか、また自分達が生きる場所はどこなのか、自分達がどう生きればいいのか、そんなことを補囚の間に一所懸命に考えた人たちがいて、そこで旧約聖書の多くがバビロン捕囚の間にまとめられたようだ。そういう人たちが中心となって、それなりの思いを持った人たちがエルサレムへと帰っていったのかなと思う。
帰還
エズラ記には、ユダヤ人たちが故郷へ帰還し神殿を再建した時のことがまとめられている。
故郷へ還ってきたわけだけれど、実際に故郷を知っている人の方が多分少なかったんだろうと思う。若い世代の人にとっては初めての土地への移住でもあった。しかし敢えてそこに還っていこうとしたということは、自分達の土地は神から与えられたカナンの土地であるという意識を持ち続けていたからであって、それは自分達がかつて主なる神によってエジプトから助け出され、約束された土地を与えられ、そこに自分達の国を持ち、でも滅ぼされて補囚されてしまっている状態なのだということ、そして補囚されてしまうことになったのは、神に従うことをせず、神の命令に従わなかったためである、ということを語り伝えてきていたということだろう。
国が滅びてしまったという原因は、直接的には戦いに負けたということだ。どこにも負けない力をつけて戦いに負けなければ国は滅びることはなかった。けれども、ユダヤ人たちはそれよりも、自分達が神に従ってこなかった結果として国が滅ぼされ、補囚されてしまったと考えた。
だから帰還した彼らは何よりも先ず祭壇を築き献げ物を献げた、と3章の前半で書いている。
神殿
おそらく廃墟となっていた神殿跡を見たユダヤ人たちはどう思ったんだろうか。昔の神殿を実際に見たことのある人たちはあまりいなかっただろうと思うけれど、かつての立派な神殿の話しは聞いていただろうと思う。勿論破壊されていることは知ってはいただろうけれど、実際に現場を見ると結構ショックだったんじゃないかなと思う。
本来であればそこに神殿を再建して、きれいに造り上げて、そこで献げ物をすればいいんだろう、というかそれが筋なんだろうけれど、けれどそんなことは言ってられないというか、一刻も早く献げ物をして、一刻も早く神との関係を持ち直したいという思いがあったのかなと思う。そこでその土台の上に祭壇をを作って献げ物をしたんじゃないかなと思う。
その時「その他の住民に恐れを抱きながら」と書いてある。これはなんなんだろうか。アッシリアが北イスラエル王国を滅ぼして、そこの住民をアッシリアに補囚したときには逆に他の民族を移住させたそうだけれど、南ユダ王国を滅ぼしたバビロニアはユダの地に積極的に他の民族を移住させることはしなかったらしい。他の住民とは補囚されずにずっとそこに暮らし続けていたユダヤ人のことだろうか。外国から帰ってきたかと思ったら勝手になにやってんだ、ということを恐れたんだろうか。それとも移住してきた他の民族の妨害を恐れたのだろうか。
廃墟から
よく分からないけれど、その後、ペルシア王の許可を得て資材を調達しいよいよ神殿の再建に取りかかりまず基礎を据えた。
基礎を据えた時、昔の神殿を見たことのある人達は大声をあげて泣き、多くの者が喜びの叫び声をあげた、と書かれている。
昔の神殿を見たことがあるということは、かつての豪華絢爛だった神殿が破壊されていったことも知っているということだろう。外国に侵略され、国が滅び、補囚されるという苦しい時代を生き抜いてきた人達である。
新しい神殿の基礎を据えたことで、そんなかつての苦難を思い出し、これから新しい栄光へと進んでいるという、ただ嬉しい喜ぶだけではない、いろんな思いがあっての涙だったんだろうと思う。
国が滅ぼされ、外国へ補囚されるというとんでもなく苦しい状況を彼等は耐え抜いた。その苦しみの中で彼等は自分達のことを省みた。どうしてこんなことになってしまったのかと考えたことだろう。
苦しみに会うとき、私たちは自分のことを省みるよりも、周りの所為だと思うことが多いのではないかと思う。あいつが悪い、こいつが悪い、社会が悪い、政府が悪いとか、妻が悪いとか夫が悪いとか、或いは教会が悪い、牧師が悪いとか。自分が悪かったからとか、自分が間違っていたとかなかなか思わない。
ユダヤ人たちも最初はそんなことを考えたんじゃないかと思う。でもユダヤ人たちは自分達が神に従っていなかった、自分達が悪かったと気付いた。それはすごいことじゃないかと思う。そして自分達の間違いに気付いたことで再出発できていったんじゃないかと思う。
ついにエルサレムにに帰還し神殿の基礎を据えることができたわけだ。神殿はまだまだ完成していない。基礎が出来ただけだ。自分達を取り巻く状況が変化していることを目の当たりにすることができた、神の導きの一端を目にすることができた、その喜びはひとしおだっただろうと思う。そこでの涙だったんじゃないかと思う。
それは廃墟からの第一歩だったのだろうと思う。実は何もない廃墟からもうすでに始まっていた、廃墟からすでに神は共にいたということを伝えてくれているのかなと思う。
私たちの見える現実も厳しい。まるで廃墟の中に佇んでいるように感じることもある。しかしそこにも神はいてくれている、厳しい現実の中でも神は共にいてくれている、そこに希望がある、そこにこそ希望がある、そんなことを教えてくれているように感じている。
「希望とは、灯りの灯されたランプを持った忍耐である。」
(テルトゥリアヌス/2世紀のキリスト教神学者)
灯りの灯されたランプって何だろうと思っていた。それは神、イエス・キリストだと思った。私たちはたとえ廃墟の中にいたとしても、そのランプを持って、イエス・キリストを持ってイエス・キリストと共に生きていく、まさにそこにこそ希望がある。