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礼拝メッセージより
平和
平和を実現する人々は幸いであると言われている。平和を実現するってどういうことなんだろうか。戦争反対って叫ぶことなんだろうか。戦争やめろよって言うことなんだろうか。核兵器廃絶って言うことなんだろうか。話しは違うけれどどうして兵器廃絶じゃなくて核兵器廃絶なんだろうか。核兵器さえなくなればいいんだろうかと思う。
そもそも平和とは何なのか。真っ先に思いつくのは戦争がない状態のことかな。爆弾が落ちてきたり、ミサイルが飛んできたりなんてのは平和ではないだろう。そんなことがないのは確かに平和だと思う。
しかし戦争がないという状態である平和を実現するなんてことができる人がいるんだろうか。そもそも世界から戦争を無くすことが出来るんだろうか。
人間は時代を経るごとに成長していって、だんだんと戦争のない優れた社会を作っていく、そんな生き物なのかと思っていた。けれど未だに戦争はなくならないし、無くなる方向へも向かっていない気がする。人間てのは成長しない生き物なんだろうかと思ったりしている。
この世界を戦争のない平和な世界にすることが幸いだと言われても、この自分に何ができるのかよく分からないし、何も出来そうにもないというのが正直なところだ。
聖書教育に書いていたけれど、ヘブライ語の平和を意味するシャロームという言葉は、平安、繁栄、健康、和解というような意味も含む言葉だそうだ。
『へいわってどんなこと?』という絵本の中には、「せんそうを しない。」「ばくだん なんか おとさない。」「いえや まちを はかいしない。」ということの他にも、「おなかが すいたら、だれでも ごはんが たべられる。」とか「ともだちと いっしょに べんきょうだって できる。」とか「みんなの まえで だいすきな うたが うたえる。」とか「いやなことは いやだって ひとりでも いけんが いえる。」とか「わるいことを してしまったときは ごめんなさいって あやまる。」とか「どんな かみさまを しんじても かみさまを しんじなくても だれかに おこられたりしない。」とか「おもいっきり あそべる。」とか「あさまで ぐっすり ねむれる。」なんてことが書いてある。
平和というのは、戦争がないことだけじゃなくて、シャロームという言葉が持っている平安とか健康とか和解という意味も含んでいることなのだと思う。
今日本では戦争はないし、そういう面では平和なのかもしれないけれど、絵本に書かれている身近なこと、勉強したりご飯を食べたり歌を歌ったり意見を言うことなどが誰もが自由にできているのかと考えると、できてないことがいっぱいあるように思う。そう思うと日本でも平和とは言い切れないというか、平和でない部分がいっぱいあると思う。そしてもっと身近な自分の周りでも、あるいは自分自身についても、必ずしも平和とは言い切れないというか、平和じゃない面がいろいろとあるなと思う。
イエスの言う平和を実現するというのは、自分が今生きている社会を平和にするということでもあるのだと思う。誰もが勉強したい時に勉強できて、お腹が空いたらご飯が食べられて、好きな歌を歌うことができて、自分の意見を正直に言える、そんな社会を作ることが平和を実現するということでもあるのだと思う。
この社会で平和を作るというのは政治的なことでもあり、そうそう簡単に変えられるものではないけれど、私たち一人一人がどんな社会を作っていけばいいのか、しっかりと考えること、しっかりと考えて行動する、しっかり考えて投票するということでもあるのだと思う。
それと同時に、自分のすぐ周りで平和を実現することも大事なことなんだと思う。自分の家族、自分の教会、自分の会社、そんな自分のすぐ隣りで平和を実現することが大事なんだと思う。
愛すること
しかし人間には欲望があり、先ずは自分の欲望を満たしたいという思いがあり、それは無くしようのない本能なのではないかという気がしている。
自分が得をしたい、自分が金持ちになりたい、自分が良い生活をしたい、自分が満腹になりたい、自分が満足したい、そんな気持ちが自分の中にはいっぱいある。自分のことで考えると、まずは自分の欲望を満たしたいという気持ちがあって、それはなくしようがないような気がする。
実は戦争も根本には抑えきれない欲望が起こすものではないかと思う。権力を持つ者が、もっと力を持つため、またその権力をなくさないように守るため、そしてその権力を無くすのではないかという恐怖から戦争が起きているんじゃないかと思う。
愛を加える
欲望を無くすことは出来ないかもしれない、しかしそこに愛を加えることは出来るのではないかと思う。自分を大切にする思いを無くすことはできないけれど、それと同時に隣人を愛する気持ちを加えることは出来るのではないかと思う。愛を加えることで自分の周りに平和を作り出すことができるのではないかと思う。
そうすると、平和を実現するとは、先ずは隣人を愛することかなと思う。イエスが最も大事な掟のひとつとして「隣人を自分のように愛しなさい」と言ったことが書かれている。自分を大事にする、そして隣人も大事にする、それこそが平和を実現することの出発点なんじゃないかと思う。そして隣人を自分のように愛することは幸いなことなのだと思う。
自分を大事にし愛するためにも、神に愛されていること、イエスに大事に思われていることを知ることだ。この自分を愛されていることを知ること、こんな自分を大事に思われていることを知ること、そこが平和を実現するための出発点だと思う。
幸せになるために、喜びのある人生を送るために、神に愛され、そして自分を愛し隣人を愛しなさい、それこそが平和を実現することでもある、そう言われているのだと思う。