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礼拝メッセージより
恐れるな
今日の聖書に「恐れるな」なんて言葉があるけれど、僕は特に最近恐れてばかりだ。
先日中四国連合の総会があったけれど、会長とか委員とか主事とか会計とか議長とか書記とか、そんないろんな役をみんな平然と当たり前のように立派にやっててすごいなあと思った。
実は連合の委員をしていた牧師がこの3月で辞任して、牧師会の幹事をしていた牧師が後任の委員を引き受けることになって、委員と幹事を兼ねるのは大変だからということで、牧師会の幹事を頼まれてしまった。他にできそうな牧師も見あたらないということで引き受けたんだけれど、始まる前から心配ばかりしていて、まさに恐れているような気持ちになっている。
昔は主事とか委員とかやったこともあるけれど、その時はよく分からないまま、今ほど心配することも恐れることもなかったように思うけれど、最近はなんだか心配と恐れとばかりになっている。年を取るごとに自分のダメさというか無能さを突きつけられてきて、その分恐れが増えてきた、ような気がしている。
コリント
使徒言行録17章でパウロは、あなたがたが知らずに拝んでいるものをお知らせしましょうとアテネの人々に宣教したけれども、アテネの人達はほとんど信じることはなかったようなことが書かれている。17章の最後には信仰に入った者も何人かいたと書かれていて、信じるようになった人はほんの僅かだったようだ。
パウロはそのアテネからコリントへ行った。コリントはペロポネソス半島がギリシャ本土に接する付け根に当たる所にある大きな街で交通の要衝で商業も工業も盛んだったそうで、活気のある街だったそうだ。
パウロはそこでアキラとプリスキラ夫妻と出会い、テント造りという同じ仕事だったので彼らの家に住み込んで一緒に仕事をしていた。この夫婦はクラウディウス帝によるローマからのユダヤ人退去命令によってやってきていたらしい。この退去命令は紀元49年にユダヤ教とキリスト教とのいざこざが原因だったそうだ。夫婦はすでにローマにいるときにキリスト者となっていたのだろう。
その後ベレアで別れていたシラスとテモテがマケドニアから援助金を持ってやってきた。そこでパウロはみ言葉を語ることに専念し、ユダヤ人にメシアはイエスであると証した。しかし彼らが反抗し、口汚くののしったのでと書かれているが、パウロはお前たちのことは知らない、これからは異邦人の方へ行く、と言った。そう言いつつ、会堂の隣りにあったティティオ・ユストという神をあがめる人の家に引っ越した。
その後会堂長クリスポ一家が主を信じるようになり、他の多くの人も信じてバプテスマを受けたと書かれている。
そしてある夜、主が幻の中でパウロに、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」と言われ、パウロは1年半の間コリントにいたと書かれている。
恐れるな
「恐れるな」と言われているということはパウロが恐れていたということだろう。
パウロは伝道旅行の間いろいろと大変な目に遭っていたようだ。
「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。」(コリントの信徒への手紙二11:24-28)
そしてコリントへ行ったときにも「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」(コリントの信徒への手紙一2:3)と語っている。
パウロはどこへ行っても勇敢に語ってきたようなイメージを勝手に持っていたけれど実際は必ずしもそうではなかったようだ。
アテネの人達に語ったときに僅かの人しか信じてくれなかったことでパウロは意気消沈していたのだろう。そしてコリントへ来た時にも、コリントのユダヤ人からは反抗されののしられてしまった。泣きっ面に蜂という気持ちだったんじゃないかと思う。アテネでは異邦人に、そしてコリントではユダヤ人に続けて拒否されてしまったということでこれからいったいどうすりゃいいんだというような気持ちだったのだろうと思う。そのユダヤ人に語った、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」という言葉は丁度パウロのいらいらが募った時の言葉だったような気がする。
そうは言いつつ会堂の隣の家に移り住んで語り続けたというところが面白い。そんな時に会堂長であるクリスポとその一家が主を信じるようになったらしい。会堂長ってことはユダヤ教の会堂の長ってことで、異邦人の方に行くと言いつつ、ユダヤ人のところに行ってるじゃないかと思うけれど、しかしパウロは会堂長一家のことがとても嬉しかったであろうし、自分のやっていることは決して間違いじゃないという安心感も少しは与えられたことだろうと思う。
そのすぐ後に「また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、バプテストを受けた」と書かれているけれど、これは使徒言行録をまとめたルカの脚色か、あるいはもっと後になってからのことじゃないかな。そんなにうまくいっていたら恐れることもなかったんじゃないかと思うし、そうしたら「恐れるな」なんて言葉を聞くこともなかったんじゃないかと思う。
会堂長一家が信じるようになるなんてすごいじゃないかという気もするけれど、パウロはそれでもぬぐいきれない不安と恐怖に怯えていたのだろう。どこまでも突き進むようなパウロのイメージとは全く違うイメージだ。でも案外人間というのはどんなに上手くいっていても、どんなに結果が出ていても、消しようのない不安や恐れをどこかに持っているような気もする。
会堂長一家は信じるようになったけれど、パウロにとってはなかなか自分の思うようにいかない、期待するような結果が出ない、却って反発されてしまい罵られることで、恐れと不安の方が遥かに大きかったんだろうと思う。だからこそ「恐れるな」という声が聞こえたんだろうと思う。
共にいる
自分のやっていることに成果が出ないというか成果が見えない時というのは実に不安なものだ。さらに危害を加えられるかもしれないなんて時には恐怖心を抱くことにもなるだろう。そんな時は、あれもダメだった、これも失敗したというようなうまく行かない状況に目を奪われたり、また不安や恐れという自分の気持ちばかりに目を奪われてしまいがちだ。
今の僕自身の状況みたいだなと思う。教会員も礼拝の人数も献金も減るばかりで、まさに不安と恐怖心がいっぱいだ。不安に押しつぶされそうになることもある。そんな時は、こんなに減ってしまった、という風にどれだけ少なくなったかというようなことばっかりに目を奪われてしまっている。こんなんで牧師続けてていいんだろうか、やっぱり牧師失格なんじゃないかとよく思う。
何だか今日の言葉は僕自身に語りかけられている言葉のような気がしてきている。「恐れるな。語り続けよ。」と言われているような気がしている。
もしイエスの言葉がただ「恐れるな、語り続けよ」だけだったらこれは結構つらいしんどい命令だなとも思う。これだけだったらまだまだ足りない、もっともっと頑張れと言われているようで余計疲れてしまいそうだ。でもここではそれに続けて「わたしがあなたと共にいる」と言われている。わたしが共にいるから恐れず語り続けなさいということだ。主イエスが共にいる、それが恐れなくてもいいという根拠、語り続けられるという根拠なんだと思う。
主が共にいる、それがすべての始まりのように思う。恐れるときも心配するときも悩むときも、主イエスがいつも共にいる、それが私たちの出発点のように思う。
大勢いる
今回もっと気になった言葉は、「この町には、わたしの民が大勢いるから」という言葉だ。
いつも教会員の人数が少なくなったとか、礼拝の人数が少なくなったとかばかり思ってしまっているけれど、そんな時ってだいたい数字ばっかり見つめてしまっていて顔が見えていないなあと思う。
わたしの民が大勢いると聞いて、こうやって一緒に礼拝する人がこんなにいるじゃないか、教会に関わってくれている人がこんなにいるじゃないか、大勢いるじゃないかと言われているような気がして、ちょっと嬉しくなっている。
本年度の標語を「イエスを見つめて」として、その聖句を週報の表紙に載せるつもりが忘れてしまった。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18章20節)
二人か三人いればもう大勢なんだ、きっと。少ない大勢?。二人や三人を少ないと思うと気分が滅入るけれど、それを大勢と思うと嬉しくなるような気がする。少ないかもしれないけれど、貴重な大事なひとりひとりなのだ。
私たちは、少ない大勢かもしれないけれど、こうやって同じ教会に導かれ集められている。イエスは、少ない大勢をお互いに大事にして、一緒に生きていきなさい、私もそこにいると言われているんじゃないだろうか。
そのイエスを見つめて、イエスの声をしっかりと聞いていきたいと思う。