礼拝メッセージより
テサロニケ
現在テッサロニキはギリシャの首都アテネに次ぐ第2の都市。当時のテサロニケは今の町とは60km離れてるそうだ。ローマ時代にはオリエント世界に通じるエグナティア街道の要衝であった。
この手紙の主であるパウロは、第2回伝道旅行でテサロニケを訪れた。その様子は使徒言行録17章以下に書かれている。テサロニケに来る前のフィリピにはユダヤ教の会堂はなかったが、テサロニケには多くのユダヤ人が住んでいて会堂があり、パウロはその会堂で論じ合った。そこでユダヤ人の「ある者は信じてパウロとシラスに従った。」また「神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。」(使徒言行録17:4)
ところがパウロの伝道によってユダヤ人からの迫害が起こり、テサロニケの信徒となった人達はパウロとシラスをベレアへと送り出した。しかしユダヤ人たちはそのベレアまでやってきたので、パウロはシラスとテモテをベレアに残して自分は海岸の地方を通ってアテネへと向かいそこで伝道した。パウロは次にコリントへ行き、そこに滞在している時にシラスとテモテが合流した。パウロは再びテサロニケへ行きたかったようだがその願いは叶わず、代わりにテモテを遣わす。そのテモテが帰って来てから報告を聞き、そこで出した手紙がこのテサロニケの信徒への手紙一ということだそうだ。
挨拶
手紙の冒頭にはパウロの他の手紙同様に挨拶が書かれている。そこには「パウロ、シルワノ、テモテ」という三人の名前が出てくる。シルワノというのは先ほどから名前が出てくるシラスのことで、ギリシャ語だとシラスでラテン語の形だとシルワノらしい。使徒言行録にはシラスと書かれている。
このシルワノは使徒言行録によると、エルサレムで開かれた使徒会議で決まったことを、アンティオキア、シリア州、キリキア州、それらの場所に生きる異邦人キリスト者たちに、パウロとバルナバと一緒に伝える使者として遣わされることになったうちの一人だ。預言をする人でもあり、いろいろと話しをして教会を励まし力付けたと書かれている。その後シルワノはパウロの第2回伝道旅行に同伴し、フィリピではパウロと一緒に牢獄に入れられることもあったようだ。
もう一人のテモテは、リストラという今のトルコ南部の出身で、父親がギリシャ人、母親がユダヤ人で、パウロが第2回と第3回の伝道旅行に協力者として同行させた若者だ。
模範
この手紙の中でパウロは、テサロニケの教会の人たちのことを「マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至った」(7節)と書いて褒めちぎっている。
テサロニケの教会の人たちがどういう状況であったかというと、「信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐している」(3節)、また「ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者とな」(6節)ったことで、すべての信者の模範となったと言っている。
愛のために労苦するとか、希望を持って忍耐するとか、結構しんどいことが書かれている。
希望
パウロの他の手紙に「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。」(コリントの信徒への手紙一13:13)なんて書いている。
今週久しぶりに「ショーシャンクの空に」という映画を見た。録画しているもう何回も見たけれど、たまたま夜遅くについつい見始めたら途中でやめられなくて最後まで見てしまった。
元銀行の副頭取のアンディが妻と浮気相手を射殺したという冤罪でショーシャンクという刑務所に入れられてしまう。けれどもつるはしを小さくしたような手のひらくらいの大きさのロックハンマーで独房の壁に20年程をかけて穴を開けて、脱獄するという話しだ。
今回見てて印象的だったのが、その刑務所の中でアンディが希望が大切だと話しをした時に、その時30年位服役している友だちであるレッドが、「希望は危険だぞ。希望は人を狂わせる。塀の中では禁物だ。」と言ったシーンがあった。
何だか分かる気がした。こうなって欲しい、ああなって欲しいという希望を持っても、それが叶わないと失望する。希望が大きいほど失望も大きくなる。失望が繰り返されると人は狂ってしまうかもしれないと思う。そうなると希望は危険だという気持ちも分かるなあと思う。
その時には特に反論しなかったアンディだったけれど、後々脱獄したと、仮出所するレッドのために手紙を残していて、その中に「希望はいいものだ。多分最高のものだ。素晴らしいものは決して滅びない。」と書いてあった。
苦しい状況の中でも希望を持つってのは大変なことだと思う。今日の手紙の中に「希望を持って忍耐している」という言葉あるけれど、希望を持ち続けることも結構忍耐が必要な気もするし、また逆に希望があるからこそ忍耐できるということでもあるんだろうなと思う。
パウロはどうして大変な思いをして福音を伝えて行ったんだろうかと思う。パウロを動かした力はどこから出てきていたんだろうかと思う。
まだよく分からないけれど、パウロはきっと何物にも代え難いものを見つけたんだろうなと思う。それは何があってもなくならない希望、どんなことがあっても、どんな目に遭っても持ち続けることができる希望、それを見つけたからじゃないかなという気がしている。
そんな希望がある、いつまでも持ち続けることができる希望がある、イエス・キリストにこそそれがある、イエス・キリストこそが希望の源だ、イエス・キリストこそが希望だ、パウロはそのことを知って喜び、そのことを知って欲しいと思って伝道してきたんだろうなと思う。
イエスがいつも共にいる、決して離れることはない、イエスにこそ希望がある、だからこの希望は決してなくなりはしない、或いは見失うことがあるかもしれない、けれども決してなくなりはしない、パウロは私たちにそう語りかけているのではないかと思う。