礼拝メッセージより
迫害
キリスト教会は最初の頃はユダヤ教とは別のものと思ってはいなかったようで、最初の教会は専らユダヤ人だったようだ。
「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。」(1節後半)というその日とは、すぐ前の7章にあるようにステファノが石打の刑によって殉教した日ということになるようだ。
2節には「しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ」とある。このステファノのことは6章に登場する。そこを見ると、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して日々の分配のことで、仲間のやもめたちがかろんじられていたことで苦情が出たと書かれている。そこで12使徒と呼ばれる弟子たちは、自分達が神の言葉をないがしろにして食事の世話をするのは好ましくないということで、霊と知恵に満ちた評判の良い人を7人選んだと書いてある。その7人の内の一人がステファノという人だった。
でもその続きを見ると、このステファノは恵みと力に満ち、素晴らしい不思議な業としるしを行っていたと書かれていたり、ユダヤ教の会堂に属する人達と議論してその人たちを打ち負かせてしまったようなことが書かれている。その議論の中にはユダヤ教徒たちにとっては許せないこともあったらしくて、逮捕されてユダヤ教の最高法院に連れて行かれてしまう。7章にはステファノの最高法院での長い説教が載っているが、ユダヤ教のステファノの堂々とした話しに激しく怒って、石打の刑に処してしまう。そしてその日にエルサレムの教会に大迫害が起こったということのようだ。
その大迫害によってエルサレムの教会はみんな散り散りになってしまったのかと思っていたけれど、聖書をよく見るとそこには「使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」と書かれている。12使徒たちは散っていってなかった。使徒たちはエルサレムに残ってたんだ。
今まで何回も読んだことあるはずなのに知らんかったというか気付いてなかったというか見てなかった。聖書、結構いい加減に読んでるんだなあと思った。
そう言えば後々パウロはエルサレムへ行ってエルサレムにいる人達と割礼について会議があったなんてことが書かれていて、エルサレムの教会の人がみんないなくなってたらそのエルサレム会議なんてものもないよなあと改めて思った次第だ。
対立?
さっき言ったように6章では12使徒たちは自分達が祈りと御言葉の奉仕という崇高な務めに専念するために、日々の分配という仕事のために7人の人を選んだように書かれているけれど、そこで選ばれたステファノが堂々と説教をしたり不思議な業としるしを行っていたと書かれている。また今日の箇所に出てくるフィリポも選ばれた7人の中の一人だけれど、フィリポはサマリアで人々にキリストを宣べ伝えている。
そもそも7人を選ぶことになった発端はギリシア語を話すユダヤ人とヘブライ語を話すユダヤ人とのいざこざが原因だった。また選ばれた7人は全員がギリシャ名なんだそうだ。
そういうことからもこの7人は単なる日々の分配の世話というような教会の雑用係としてではなくて、ギリシア語を話すユダヤ人の代表として選ばれたということらしい。ヘブライ語を話すユダヤ人の代表が12使徒で、ギリシア語を話すユダヤ人の代表が7人だったということようだ。そのヘブライ語を話すユダヤ人とギリシア語を話すユダヤ人の間には、伝統的なユダヤ教に対する考え方、神殿とか律法に対する感覚の違いが、少なからずあったようだ。
大迫害
ここで教会と訳されている言葉はエクレシアというギリシャ語、これは集まりとか集会という意味の言葉だそうだ。当時の教会がどんな集まりだったのかあまりよくは分からないけれど、このころはまだユダヤ教とは別の宗教というような感覚もなくて、ユダヤ教の中の新しい流れのような意識だったんじゃないかと思う。特にユダヤ地方で生まれ育ったユダヤ人たちはヘブライ語を話していて、3章でペトロとヨハネが祈るために神殿に上って行ったように、従来のユダヤ教の習慣やしきたりを重んじていたようだ。一方ユダヤ以外の外国で生まれたユダヤ人たちは当時この地方一帯を支配していたローマ帝国で使っていたギリシャ語を話して、律法に関しても比較的自由な考えを持っていたんだろうと思う。イエスをキリストと信じる思いは同じだったと思うけれど、律法とか神殿とかに対する考えには温度差があったようで、それが教会内部での軋轢となっていたんじゃないかなと思う。
そんなことから教会が迫害された時にギリシャ語を話す人達は逃げないといけなくなったけれども、使徒たちヘブライ語を話す人達はエルサレムに留まることができたということなんだろうと思う。この迫害は律法や神殿に対する考え方によって、それらを大事にしない者を迫害したということなのかなと想像している。違うのかな。
実は気になるのは、使徒たちエルサレムに残った人達が散らされた人達をどう思っていたのかなということだ。ギリシア語を話す人達が逃げていくのをどんな思いで見ていたんだろうか。こいつらは神殿や律法を大事にしないから仕方ないと思ってたんだろうか。そんな奴等がいなくなってちょうど良かったと思ってたんだろうか。
散らされて
教会もいろんな思いを持っている人の集まりだからいろんな軋轢や対立があるのも当然と言えば当然だけれど。
大きな硬い岩も小さな亀裂から染みこむ雨によって割れ目が大きくなってやがて崩れ落ちるみたいだけれど、エルサレムの教会も、ヘブライ語を話す人達とギリシア語を話す人達の間にあった小さな亀裂の中に、外から迫害という雨が染みこんで来たために分かれ分かれになってしまったようだ。
でもそのことから福音は広がっていったという。フィリポはユダヤ人たちが毛嫌いして見下していたサマリアへ行ってイエスを宣べ伝えたというのだ。ユダヤ教の迫害から逃れるためにはユダヤ人たちが嫌っていたサマリアが丁度良かったのかもしれないけれど、フィリポにとっては本当はあまり近寄りたくない場所でもあったのかもしれない。迫害されるようなことがなければ行くこともなかったのかもしれない。でもそこでイエスを宣べ伝えるとサマリアの人達はイエスを信じ喜んだと書いてある。
福音書にはイエスがサマリアの人達とも関わりを持っていたことが書かれているし、善きサマリア人の話しをしたこともあったようだ。フィリポはこの時サマリア人と出会ったことで、イエスがサマリア人と分け隔てなく接してきていた思いを初めて感じ取ったのかもしれないなあと思う。そんな大事な出会いがあったのかもしれないなあと思う。
うしろから
何もかも神の計画なのかどうか分からない。ヘブライ語を話す人達とギリシア語を話す人達との間の対立があったことも神の計画なんだと言えるのか、迫害が起こって散らされてしまったことも神の計画なのかどうか分からない。
人が仲たがいすることも神の計画、導きなんだろうか。失敗したり間違ったりするのも導きなんだろうか。神はそんな風に事細かに一々手出しするんだろうかとか。
今日の聖書を見ながら、こんな箇所でどんな話しをすればいいのかと思っていた。この箇所で説教したこともなかったし。それでもそして昨日の夜には、人間の仲たがいや対立さえも飲み込んで神の計画は進んでいく、その大きな流れの中に私たちは生かされている、その流れに身を任せていけばいい、ということなのかと思っていた。そうかもしれないしきっとそうなんだろうけれど、今朝になって、そんな何もかも包み込む神の大きな計画って、宇宙さえも飲み込むようであまりに大きすぎてどこか自分とはかけ離れた話しのような気がしてきた。
今年のイースターの聖書を読んだ時に印象的だったのが、イエスが後ろにいるということだった。私たちが気付いていてもいなくても後ろにちゃんといてくれるということを知らせてもらったように思った。
今朝それを思い出した。やっぱりイエスは私たちの後ろにいるんじゃないだろうかと思う。保育園の子供達が散歩する時にロープにつながった輪っかをもって先生に引っ張ってもらっているのを見ることがある。でもイエスはそんな風に私たちの前にいて私たちをロープで引っ張ってはいないような気がする。そっちに行っては駄目だ、こっちに来なさい、とまるで過保護な親のように一々口出しをするなんてことはしないようだ。失敗しないように間違わないように一々手出しをする訳ではないような気がしている。だから私たちはしょっちゅう間違ったり失敗したりする。
でもイエスはいつも後にいてずっと私たちについてきてくれていうような気がしている。失敗しても間違っても、何があってもどこまでも付いてきてくれているような気がしている。
神を信じたら、イエスを信じたら、悩みも苦しみもなくなるなんてことはないみたいだ。僕は不信仰だからかもしれないけれど、相変わらず悩み苦しむことがいっぱいだ。でもどんな時でも、何があっても、イエスは後ろにいてくれている、見えないけれどずっと一緒にいてくれているように思う。
イエスが一緒にいてくれているから、新たい世界へ出て行く力が与えられるんじゃないかなと思う。そこで新しく出会う力が与えられるんじゃないかなと思う。逃げた先や失敗した先、挫折したその先に新たな世界、新たな出会いを発見する力が与えられるんではないかと思う。
大丈夫だ、私がついている、どこまでにあなたと一緒にいる、何があったも私はあなたの味方だ、イエスは私たち一人一人に、うしろから声をかけてくれているに違いないと思う。