礼拝メッセージより
喜びの手紙
フィリピの信徒への手紙は「獄中書簡」と言われ、その名の通り牢屋の中で書いた手紙だそうだ。あるいはまた「喜びの手紙」とも言われるそうだ。確かにこの短い手紙の中に喜びという言葉がいっぱい出てくるし喜びなさいなんてことも言っている。だいたい獄中と喜びがどうしてつながるのか不思議に思う。獄中にいるのにどうして喜べるのか。
喜びとは何なのか。人はどんな時に喜ぶのか。テストで良い点を取った、試験で合格した、大会で優勝した、宝くじが当たった、どれも喜ぶ。そんな風に普通は自分に都合のいいことが起こった時には喜ぶだろうと思う。しかしそういう喜びということから考えると、牢屋に入ったことを喜ぶことはできないだろうと思う。どうしてパウロは喜んでいるのか。
パウロの言う喜びとは自分に都合のいいことが起こる時の喜びとは違う喜びではないかと思う。
触れ合い
落ち込んだり、心沈んだり、むしゃくしゃしたりする時、そんな時は物や金ではどうにも解決できないように思う。衝動買いしても、やけ食いしてもやけ酒飲んでも大体だめで、そんなことをすると余計に落ち込んだりする。
でもそんな時でも誰かと話しをし、誰かの心に触れることで途端に元気になることがよくある。何をする元気もなくどうしようもない時、誰とも話したくない時、そんな時に限って電話がかかってきたりする。こんな時に誰だと思いつつしぶしぶ電話に出て話しをするうちに元気になるということをよく経験した。
心を癒すのはやっぱり物ではなく心だと思う。心は心でないと癒せないのではないかと思う。
そして喜びも心と心のふれあいのあるところに生まれるのではないかと思う。確かに何かを手に入れた時も喜びがある。しかし心のふれあう喜びはそれとは別の種類の喜び、或いはそんな物とは比べ物にならない程大きい喜びのように思う。
与えられる喜び
さらに大きな喜びが神とのふれあいによって生まれるのではないかと思う。昔誰かが、人の心の真ん中には穴があって、それは神さまが空けた穴でキリストでないと埋めることのできない穴だ、と聞いたことがある。どんなに楽しいことをしていても、どんなにお金持ちになっても、偉くなっても、そして人とのふれあいによっても埋められない穴だそうだ。その穴を埋めるにはキリストを心の中に迎え入れるしかないなんて言っていた。
確かにそうかもしれないなと思う。そしてその穴をキリストによって埋めてもらうことが一番の喜びで、フィリピの信徒への手紙でパウロが言う喜びもそんな喜びなのかもしれない。
そうするとその喜びは神とのふれあいによって生まれるものであり、自分で努力して生み出すものではない。無理して努力して喜ぶことでもない、ということになる。
とは言ってもいつもいつも喜んでばかりいられないというのが現実だ。世の中にはいろいろな苦難が待ち構えている。少しでも苦しいことがあると喜びなんてすぐに吹っ飛びそうになる。自分に都合のいいことが起こったときに喜ぶという喜びならば、その喜びは都合が悪くなるとすぐになくなる。自分の努力で手に入れた喜びなら、努力できなくなった時、努力する力もなくなったときにはなくなる。
しかし喜びが神から与えられたものならどんなことがあってもなくならない。与えられたといっても何か物をもらうようなことではなく、神との関係を持つことで生まれてくる、神が共にいてくれることによって生まれる、そんな喜びならば、それはいつまでもなくならない喜びである。
自分が思い描くような状況にならないときにも、自分にとって都合が悪いと思うようなことが起こった時にも、また自分で努力することができない時でもその喜びはなくならない。その喜びは神とのふれあいによって生まれるものだから。神がそこにいるかぎりその喜びはなくならない。
人間関係によって喜びが生まれることはある。でも人と人との関係は崩れることもあるし、人間関係が憎しみに変わることもある。
しかし人と神との関係は崩れることはない、少なくとも神から人に向けての関係は変わることがない。神は私たちがどんな境遇にあっても裏切ることはない。すべての人から見捨てられても神は決して見捨てることはない。だからこそ常に喜ぶことができる。
喜び
パウロは最後にフィリピ教会が物心両面にわたって、彼の伝道を支援してくれたことに対して、感謝の意を表している。フィリピの教会の援助は教会設立の当時から始まって、途中の中断はあったものの、パウロの晩年まで続けられたようである。
フィリピという町は、マケドニアという地方にあり、マケドニアは当時アジアとヨーロッパを結ぶ要所で、その中心地であるフィリピはローマ時代には、特に軍事的に重要視された町だった。
キリスト教がアジアから海を越えて、ヨーロッパの世界に伝わって行った最初の町がフィリピだった。パウロはまずこのフィリピの伝道によって教会を設立する。そしてそれを足がかりにしてマケドニア地方の伝道を勧めたのだった。フィリピはヨーロッパ伝道に重要な意味を持っていた。それだけにまたこの地方の伝道は使徒言行録を見ると、苦難の連続だった。そしてこの伝道をフィリピ教会が支えていた。
しかしフィリピ教会は決して豊かな教会ではなかったようだ。パウロを助けるほどの余裕があったわけではなく、むしろ反対に極めて貧しい教会、物質的には貧しい教会だったそうだ。
豊かだから施しができるということでもなければ、貧しいから施しができないということでもない。施しをするかどうかは、物やお金があるかどうかが問題ではなく、精神的なもの、気持ちというか心があるかどうかの問題であるということだ。
パウロは自分の苦しい時を物心両面にわたって支えてくれたことを感謝している。フィリピの教会はきっとパウロの苦しみを少しでも減らそうとしたのだろうと思う。その苦しみを自分たちが少しでも担おうとしたのだと。
誰かを支援するというとき、物を送ったりお金を送ったりする。そしてそれは送る方がその分苦しむということだと思う。こちらが苦しい思いをすることで向こうの苦しみを少しでも減らすことが出来る。そしてそれは苦しみを分かち合うということだ。苦しみを分かち合うということが共に生きるということでもあるのだろう。
そしてそんな苦しみを分け合ってくれる者がいること、そういう思いを持って心配してくれる者がいること、それがパウロにとっての喜びだったのだろうと思う。
だからパウロは獄に繋がれていても喜ぶことができているんだろうと思う。自分を心配し気にかけ大事に思ってくれているイエス・キリストが、いつも自分と共にいてくれているという喜びに加えて、フィリピの教会の人たちが自分のことを心配し気遣ってくれているという喜びがあったのだろうと思う。
この手紙を読むフィリピの教会の人たちもきっと喜んだことだろうと思う。
神との関係、そして隣人との関係、共に苦しみも喜びも分かち合う関係の中に生きること、それこそが喜びなのだと思う。苦しいことも大変なこともいっぱいあるけれど、私たちには私たちのことを大事に思ってくれているイエス・キリストがいるじゃないか、そして私たちは互いに気遣う仲間じゃないか、だからいつだって喜べるじゃないか、パウロはそう言っているようだ。
思わぬことや大変なことが起こると、ついつい大変なことがらしか見えなくなったり、自分のことしか見えなくなったしまう。そしてひとりで落ち込んでいってしまう。
でも私のことを大事に思ってくれているイエス・キリストがいること、自分のことを気遣い心配してくれる仲間がいること、そのことを感謝し大事にし忘れないようにしたいと思う。