礼拝メッセージより
片隅に
神学校の先生がどこかに書いてあったことを思い出す。その先生はアメリカだったと思うけれど、留学していた時にそこの教会でバプテスマを受けた。そこの教会は聖書は間違いのない神の言葉だというふうに教えられていたそうだ。その後日本に帰って来て日本の教会に通うようになった。ある時その教会の運動会だったか修養会の中のゲームだったか忘れたけれど、2つのグループに分かれて競争することになった。そのグループを分ける時にそこの牧師が、処女降誕を信じる人はこちら側、信じない人はあちら側と言って分けたそうだ。その先生は処女降誕は聖書が書いてあるから信じないといけないものだと思っていたので牧師がそんなことを言ったのでびっくりしたというようなことを書いてあった。
僕も最初は聖書はそのまま信じないといけないと思っていた。有り得ないだろうと思うようなことが書いてあっても聖書だから信じる、聖書に書いてあるからその通りにあったのだと信じる、それが信仰なんだと思っていた。けれどだんだんと変わってきた。聖書をどう読むかということになってくると思うけれど、聖書も結局は不完全な人間が書いた物であって、間違いがあったとしても当たり前だし、書いた人の解釈が入ってくるのも当たり前だ。納得できないことは納得できないと思ってていいし、無理して納得しようとしなくてもいいんだと思う。物語がそのまま文字通り本当に起こったことととして信じるというよりも、その物語を通して聖書を書いた人やまとめた人が伝えたいものがあって、その伝えたいものを聞いていくことが大切なことなんだろうと思っている。神を信じることの大切さや喜びや希望、そんなことを聞くことこそが大事なんじゃないかなと思っている。
インマヌエル
23節「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」これは旧約聖書のイザヤ書7章14節にある言葉の引用だ。
イザヤ書7章14-17節では、「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで、彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。主はあなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ。」
イザヤがこの言葉を告げた時代、イスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国に別れていた。当時は北の方にあるアッシリアという強い国の脅威にさらされていた。アッシリアに近い北イスラエル王国と、その北にあるアラムという国は同盟を結んでアッシリアに対抗しようとしていた。そして南ユダ王国も一緒になろうと持ちかけてきたが南ユダや王国は仲間に加わらなかった。そうすると北イスラエルとアラムは南ユダに攻めて来た。当時の南ユダ王国のアハズ王はアッシリアに助けを求めようとした。
そんな時にイザヤはアハズ王に面会して、アッシリアではなく神に助けを求めるようにと進言したがアハズ王は神ではなくアッシリアに援軍を求めた。イザヤの進言を断るアハズ王に与えられた言葉が、マタイが引用している、見よおとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ、というものだった。
その後アハズの子ヒゼキヤが次の王となり、ヒゼキヤ王はアッシリアとの関係を絶って、神殿から偶像を取り除いた。イザヤ書9章5節に「ひとりのみごりごがわたしたちのために産まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君』と唱えられる。」とあるが、これはイザヤがヒゼキヤ王の即位を喜ぶ言葉だと考えられているようだ。
つまりイザヤはインマヌエルはヒゼキヤ王であると告げていて、ヒゼキヤ王は神に助けを求め、アッシリアはエルサレムを包囲したものの疫病が発生し撤退することになり、イザヤが預言したようにヒゼキヤ王はユダ王国の窮地を救った。
おとめ
そのイザヤ書をマタイは引用しているわけだ。
「おとめが身ごもって男の子を産む」と書かれているように、イエスは処女であるマリアから生まれてきたように書かれている。やっぱりイエスは特別だと思っていたけれど、それ以前からも偉大な人物と言われる人の中に、父親がなしに母親からだけ生まれていたと言われている人がいっぱいいるそうだ。アレキサンダー大王もそう言われているそうだ。
父親が誰なのかということははっきりしづらい面がある。逆に母親から産まれたということは周りの人間にも認識できるし誤魔化しもできない。そんなこともあって偉大な人物はたびたび父がいないという特別な生まれ方をしていると言われていたそうで、マタイもそれに倣っているのかもしれない。
またこのイザヤ書の中の「おとめ」と訳されている言葉は、元々のヘブライ語では若い女性のことを現していて処女という意味はないそうだ。後々旧約聖書がギリシャ語に訳されて、そのときにおとめというような処女を意味する言葉に訳されていたそうで、マタイもそのギリシャ語に訳されている言葉を引用しているそうだ。
最初に書かれた福音書であるマルコによる福音書にはクリスマスのことは何も書かれていない。ルカによる福音書には詳しく書かれているけれど、これはマタイによる福音書とは随分違っているというか矛盾しているところもある。
イエスの生まれた時の詳しいいきさつなんてのもほとんど伝えられていないのだろうと思う。だから最初に書かれたマルコによる福音書にも、それ以前に書かれたパウロの手紙にもイエスの誕生のことは何も書かれていないんだと思う。
最初の教会の人たちはイエスの再臨はもうすぐだ、もうすぐ再びイエスがやってくると思っていたようだ。しかし何十年かたって、そんなにすぐではないらしいということで、後生の人達にイエスがメシアである、救い主であるということを伝えるために、イエスがメシアであると分かってもらうためにまとめたのが福音書だ。マタイは特にユダヤ人にそれを伝えるために旧約聖書を引用して、ここに書かれていた約束が成就したという言い方を何度も使って、イエスこそが旧約時代から約束されたメシアなのだということを一所懸命に伝えようとしている。マタイは聖霊によって宿ったということを通して、イエスこそが民を救うために神の使命を帯びて神から遣わされたキリストであることを言いたいのだと思う。
共に
またマタイはこの福音書の最後に「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というイエスの言葉を載せている。マタイはこの福音書の最初と最後に、あなたがたと共にいるという言葉を載せている訳だ。ということはマタイは、このヒゼキヤ王になぞらえつつ、イエスこそがヒゼキヤ王が国民を救ったように私たちを救う救い主だ、インマヌエル、神我らと共にと呼ばれる、いつも私たちと共にいる救い主だ、と言いたいのだろうと思う。
そばにいるよ
マタイの福音書ではヨセフは許嫁のマリアが訳の分からないうちに妊娠してしまったために密かに別れようとしたと書かれている。しかしそんな時にヨセフは夢の中で、神は我々と共におられるという言葉を聞いたという。
私たちの人生にもいろいろと面倒なことが起こる。嵐の中を歩く時もある、風が吹き雨が降る時もある。時には訳の分からないような出来事、不条理な出来事が降りかかってくることがある。自分ではとても背負いきれないと思うような、それこそヨセフがひそかに離縁したいと思ったようなような、できるならば投げ出したいような出来事も起こってくる。
しかしそんな私たちの下にキリストが生まれた、インマヌエルのキリストが生まれた、マタイは私たちにそのことを伝えているのではないだろうか。神はいつも私たちと共にいる、私たちはいつも神に愛され大切にされ心配されている、私たちは決してひとりぼっちじゃない、決してひとりぼっちにならない、だからどんな時でも神と共に生きていこう、マタイはそう私たちに告げているのだろうと思う。
そんな神の思い、私たちを愛している、私たちを大切に思っている、そんな神の思いが私たちに届いている、それが「神我らと共に」ということだと思う。
愛されているから、大切に思われているから私たちはひとりぼっちじゃないのだ。風の中でも、雨の中でも、嵐の中でも、ひとりぼっちじゃないから歩いていけるのだ。
神我らと共に、という時の「共に」というのは、いつも触れ合っているとか、いつも目に見えるところにいるとかいうことではなく、そういう物理的な距離が近いということよりも、心というか思いがあるといることだと思う。
渡辺美里の「そばにいるよ」という歌の中に、『会えなくてもそばにいるよ』という歌詞がある。目の前にいなくてもそばにいる、目に見えなくてもそばにいる、その歌を聞く度にイエスはきっとそう言ってくれているんじゃないかと本来の歌詞とは関係ないみたいだけれど、その言葉を聞くといつもそう思っている。
いつもそばにいるよ、その神の思いを伝えてくれているイエスが生まれた、そのイエスを心に迎えるのがクリスマス。