礼拝メッセージより
棋士
ネットを見ていると、先崎学(せんざきまなぶ)という将棋の棋士の話が出ていた。若いころからる天才棋士と言われていたそうだけれど、去年うつ病になってしばらく入院して今年には復帰して、「うつ病九段」という本を出したそうだ。
将棋連盟の問題などもあってそれが病気の原因だろうと書いてたけれど、調子が悪くなってから電車に飛び込むイメージが頭の中を駆け巡っていた、正確には自然に吸い込まれるイメージで、電車に乗るのが恐かった。仕方なく電車が出る間際になってからホームに出て乗り込むようにして何とかしのいでいた。うつ病の最も酷いときには悩むエネルギーもなく悩むこともできない、悩みがあるから死ぬんじゃなくて、症状として死にたくなる。
それまで将棋の対局で不戦敗はしたことがないという誇りを持っていたので頑張っていたけれど、いよいよ調子が悪くなってやっと入院することにした。
その時にはテレビも新聞も内容が理解できなくて、夜も2時間おきに目が醒め、夜中から朝までじっとしているようなこともあった。
そんな時に、精神科医である兄から毎日「必ず治る」という短いメッセージのLINEが届いていた。一生このままじゃないかと不安になっていたけれど、兄のメッセージを何時間もじっと見つめて、自分は独りではないんだぞと心に言い聞かせていた。そして家族に助けられながら少しずつ少しずつ快復していった。そんなことが書いてあった。
その記事の中に「うつ病患者は自信を喪失しています。そこであなたには存在価値がある、待っている人がいると言われると、自信を取り戻すことができます。仕事や家庭など、あなたの居場所が残っているということを伝えることはとても大切なのです。」と書いてあった。
自信喪失
今日の聖書ではイザヤは、見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する、見よ、わたしはエルサレムを喜び踊るものとして、その民を喜び楽しむものとして創造する、なんていう神の言葉を告げている。誰もが長寿を全うする、誰からも攻められず、死の恐怖もない、そんな全く新しい世界を改めて創る、そんな神の言葉を告げている。
この第三イザヤの言葉を聞いた当時のイスラエルは、バビロニア帝国を滅ぼしたペルシャという国によって解放されてバビロン補囚から多くの民が帰ってきていた。ペルシャは大きな領土を持った国で、それぞれの民族に寛大でそれぞれの宗教を尊重したそうだ。イスラエルの神殿を再建することも認め支援した。宗教的にはそんな自治が認められた。
しかし再建しようとしたけれどもイスラエルの復興はなかなか進まなかったそうだ。そんな時にペルシャの王の後継者争いが起こり、ペルシャの支配が少し弱くなったことがあった。それに乗じて独立しようと言う運動が起こったが結局それも失敗してしまったそうだ。補囚から帰ってきたとはいえ、ずっと他の国の支配の下にあり、復興もうまくいかず、独立運動も挫折してしまい、バビロンから帰ってくる当初に持っていた希望もなくしてしまっている、そんな時期だったようだ。
夢を持っては敗れ、また次の夢を持っては敗れの連続だったのではないかと思う。苦しいことの連続、こんどこそ明るい未来が来る、と期待しても裏切られ続ける、そんなことの繰り返しで、夢も希望も自信もどんどんなくしてしまっている、そんな状況だったようだ。
自信回復
そんな時にイザヤはこの神の言葉を告げた。しかし何もかも全く新しくするなんて言われてもそんなこと起こらと思えるんだろうか、何もかもうまくいくようなこと言われてるけれど、そんなの信じられるんだろうかと思っていた。
でも最初に言った将棋の棋士の人が、お兄さんからの必ず治るというメッセージを何時間もじっと見つめていたと書いてあったのを読みながら、当時のイスラエルの人達も、何もかも新しくするという神のメッセージを繰り返し繰り返し聞いたのかもしれない、そしてそこから失ってしまっていた自信と希望を少しずつ取り戻していたんじゃないかと思った。
私たちの見える現実も厳しい。教会の現状も厳しい。人も金も少ない増えない、後継者が育たない、愛がない、、、。一人ひとりの現実も厳しい。年を取ると身体も弱ってくる。いろんな問題が次から次から起こってくる。まるで打ちのめされそうな現実が目の前にある。それが解決できれば、この問題がなくなれば、過ぎ去ってくれれば何とかなるに違いないと期待する。
けれどもなかなかそう思うようにいかない。神に祈っても願ってもなかなか思い通りにならない。そしてそんな厳しい現実の中で、一体神はどこにいるのか、神は私を見捨てたのか、忘れてしまったのかと思ってしまう。
そんな私たちにもイザヤは、神は決してあなたのことを忘れてはいない、あなたのことを心配している、あなたのことが大事なのだと告げているようだ。そのことを知ることで私たちも自信を取り戻すことができるのではないかと思う。
神はきっとそんな方法で私たちを支えてくれているのだと思う。奇跡を起こして目に見える世界を何もかも変えてしまうというような方法ではなく、私たちを慰め励ますことで私たちに自信を取り戻させ、私たちに小さな一歩を踏み出す力を与えようとしているのではないかと思う。その小さな一歩は私たちを新しい世界へ導く、そんな小さな一歩なのだと思う。神はその一歩を踏み出す自信と力を与えようとしてくれているのだと思う。