礼拝メッセージより
結婚
当時結婚相手は親が決める習慣だったようだ。今日の聖書箇所には、アブラハムは多くの日を重ね老人となり、と書いてある。そもそもイサクが生まれた時もすでに老人だったように言われているけど、その時よりももっと歳をとったということになる。
アブラハムは全財産を任せている年寄りの僕に、一族のいる故郷からイサクの嫁を連れてくるようにと命令する。昔は結構近い親族と結婚することが普通だったみたいで、旧約聖書の中にもそういう結婚がよく出てくる。異教徒であるカナンの土地の娘とは結婚させたくなかったからだという説教もいっぱいあったけれど、アブラハムは昔からの習わしに従って自分の同族から嫁を貰おうとしたということなんじゃないかという気がする。
でもイサクを、あなたの子孫に与えると神が約束された土地から離れさせるわけには行かないので、娘がこちらへ来ることを拒む場合は僕はその任を解かれるという。
7節では、「そのお方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れてくることができるようにしてくださる。」と確信めいたことを言っているのに、8節では「もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前はわたしに対するこの誓いを解かれる。」と言う。確信はないのかな。
選び
その土地へやってきた僕は、町外れの井戸の傍らでイサクの嫁となるリベカと出会う。
11節で、女たちが水をくみに来る夕方にらくだを町外れの井戸の傍らで休ませている時だったと書いてある。町が小高い丘の上にあって、井戸は町外れの低い場所にあるそうだ。日中は暑いので水くみは夕方涼しくなってからする女性の仕事だったそうだ。そして水くみは、水のあるところまで階段で降りていく、結構な重労働だったそうだ。
僕は、水を飲ませてくれと頼んでみて、自分にもらくだにも飲ませましょうという娘をイサクの嫁とさせてくれ、と祈っている最中にリベカがやってきて、その通りになったのでこの人こそ意中の人だと分かったという話しだ。
僕はリベカに金の鼻輪一つと金の腕輪二つを渡して、リベカの素性を尋ね、家に泊めてもらえるかと尋ねた。鼻輪ってなんですかね。今日一番気になったます。
リベカはナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘だと答えた。ナホルはアブラハムの弟だから、リベカはアブラハムの弟の孫になる。イサクから見るとリベカはいとこの子供ということになる。
この後ベトエルは登場せず、リベカの兄のラバンが登場して話しが進のでベトエルはもうすでに亡くなっていたのかもしれない。
こんなにうまい話しがあるのかと思う。自分で勝手に条件を設定して、その通り事が運ぶなんて、人生こんなにうまくいけば苦労しないよという気がする。どちらをどう選択すればいいかいつも迷いながら生きてるのに、そしてどっちがいいのかと悩みながら、これで良かったと思ったり、やっぱり間違いだったんじゃないかと後悔したり、そうしながら生きているのに、こんなにはっきりと教えてくれたら苦労しないよと思ってしまった。
使命
そもそもアブラハムが僕に命じた務めとは何だったのか。もちろんそれは嫁を連れて帰るということだけれど、僕がイサクにふさわしい嫁を選んで連れて帰ることだと思っていた。ちょっと気になるのは僕とアブラハムが言っている「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません」というのと、「もし女がお前に従ってこちらへ来たくないというならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる」という言葉だ。
僕が選んだ人がカナンの土地へは行きたくないと言ったならば、その人は嫁とはなれないわけで、別の人を探す必要が出てくるんじゃないかと思う。
嫁を連れて来て欲しいということだから、このカナンの地へ行っても良いという娘の中から選べばいいんじゃないかと思う。
ただついていく
結局僕は自分でイサクの嫁を選んでいないと思う。僕は選びに行ったのではなくて、捜しに行ったような気がする。イサクの妻となる人はもう既に決まっていて、僕はその人を捜しに行っているんじゃないかという気がしてきている。もう決まっているから、その娘が拒否したらどうしようとか、その女が来たくないと言ったらもういいよ、という言い方になっているような気がしてきている。
僕の祈りも、その決まった人を見極めるための条件を神に伝えているんじゃないだろうか。14節には「あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください」と言っている。神が決めていることを自分に伝えて欲しい、教えて欲しいということなんじゃないかと思う。
祈りというのはそんな風に神の決定や神の意志を聞いていくこと、尋ね求めることなんじゃないかと思う。
最初は僕の祈りは神を自分の都合に合わせて利用しているのかと思っていたけれど、神の意志をはっきり知ることが出来るようにという願いを伝えているような気がしてきている。
リベカがイサクの妻となることは、もうとっくに決まっていたこと、神はもうとっくの昔に決めていたことのような気がしている。その神の決定を見つけるために僕は出掛けていったようだ。
とは言ってもその神の決定は人間にはなかなか分からないのも現実だ。そのために悩むし苦しむ。なかなか分からないけれど神は私たちの進むべき道をちゃんと備えていてくれている。私たちはこの神にただついていくだけなのだろうと思う。
分からないから神に聞きつつ、祈りつつ、神についていくのだ。神が私たちのために道を備えていてくれているから、私たちはその道を私たちと歩んでいてくれている神にただついていく。