礼拝メッセージより
ストレス
アメリカの精神科医が作ったストレス表があって、いろんな出来事毎のストレス強度を載せてる表がある。離婚がストレス強度73、夫婦別居65、結婚50、転居20、クリスマス12とかある。クリスマスはそんなに低くない、と個人的には思うけどまあいいか。その表の中で一番ストレス強度が強いのが、配偶者の死で強度は100とある。配偶者の死というのは人生で一番大きなストレスのようだ。
アブラハムにとっても妻であるサラの死は大きなストレスだったのだろうと思う。そしてアブラハムにとってはサラを葬る自分の土地を持ってないということが新たな問題だった。
寄留者
アブラハムは神の呼びかけに応えて故郷を離れてカナンの地にやってきていた。何才の時にカナンにやってきたのかは分からない。100才の時サラとの間にイサクが生まれた。
ずっと土地を持たなかった。
初めて土地を持ったきっかけが妻サラの死だったようだ。その時サラは127才だった。寄留者であるアブラハムは土地を持つことが難しかったのかもしれない。相当な財産を持っていたようなのでお金がなくて買えなかったわけではなかったのだろうと思う。けれども30年や40年経っても、やはりまだよそ者であったということなのかもしれない。
けれども妻のサラが死んだことでアブラハムはついに自分の土地を持つことになる。やはり妻は自分の土地に葬りたかったということか。
サラ
サラはアブラハムと共に故郷から見知らぬ所へやってきた。
なかなか子どもが生まれないという苦しい時を経験した。
90才近くになってから、来年子どもが生まれると言った神の約束を笑ったこともある。そして笑っただろと言われて、笑ってないなんて答え、いや笑ったと念押しされたこともあった。笑うしかないような信じられない、でも嬉しい出来事だった。
サラは結構激しい嫉妬心を持っていたようだ。自分たちに子どもが生まれないために奴隷のハガルにアブラハムの子どもを生ませようとした。ところが妊娠したハガルが自分を軽んじたと言ってハガルに辛くあたるようになり、そのことからハガルがサラのもとから逃げて荒野をさまよったこともあった。
ハガルがアブラハムとの子イシュマエルを生み、自分もイサクを生んでからは、イシュマエルがイサクをからかったことから、ハガルとイシュマエルを追い出すようにとアブラハムに言って、ハガルとイシュマエルは追い出されて、それ以降別々に生きるようになったようだ。
神の約束の土地にやってきていたアブラハムとサラだったが、二人がただ神の約束を信じる信仰深い純粋な人間という訳ではなかった。そして何事もなく人生を送った訳ではなかった。
神の約束があるからと言ってなんの心配もなく過ごして来たわけではなかった。むしろその約束はどこにあるのか、その約束はどんな風に実現するのかと悩み、なかなか実現しない約束に苦しむ、そんな波瀾万丈の人生を送ってきた。
きっとそんな大変な人生をアブラハムはサラと一緒に送ってきた。そしてサラが127才の時にサラは死んだ。その時アブラハムはサラよりも10才年上なので137才ということになる。
でも悲嘆に暮れる暇もなく葬りをしないといけない。アブラハムにとってまずすることはサラを葬る場所を確保することだった。
交渉
そこでアブラハムは「遺体の傍らから立ち上がり」、墓地を譲ってくれるようにとヘトの人々に頼む。ヘトの人たちは昔からその地方に住んでいる人たちで、その中のエフロンという人の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲ってくれるようにと頼んだ。
しかしエフロンはその畑は差し上げますから早速葬ってください、と言う。
アブラハムは何とかして代金を払わせてくれと言う。
するとエフロンは、あの土地はたかが銀400シェケルなんだから、それ位のものをいちいち受け取らなくても結構、すぐに葬ってくださいと言う。
それを聞いたアブラハムは400シェケルを払ってエフロンから畑を買い取った。
ヘトの人々が最初にアブラハムに対して、あなたは神に選ばれた方ですと言ったり、エフロンも始めにご主人様なんて言ったりしているが、どうやらこれはただの社交辞令らしい。
みんながいる前で交渉するのは当時の契約の方法だそうで、始めに差し上げますからというのもこの地方のしきたりだと説明している人がいた。そして銀400シェケルが何ほどのものかと言っているけれども、これも法外な金額らしい。普通ならば最初に400シェケルとふっかけておいて、それから交渉していってだんだんと値段を下げていく、という風になるようだ。
ついでに言うと、アブラハムは洞穴だけを買えばそれで良かったのだが、畑も、生えている木も買うことになった。それは、当時は土地の一部だけを他に者に譲っても、もともとの持ち主が税金を全部払う必要があったため必要のない畑なども含めて買わされた、という説もあるそうだ。
エフロンは言葉は丁寧だけれども、実は結構したたかな人だったのか、それとも取り引きとはそういうものなのかもしれない。
しかしアブラハムは相手の言い値でその畑を買った。後々とやかく言われることがないように、なんの文句も出ないように言い値で買い取ったということか、あるいはすぐに葬らないといけないことが分かっていて足もとも見られたということで、しかも妻の死という大きなストレスがかかっていたので兎に角早く決めたかったということだったのかもしれないなと思う。
葬り
そうやってついにアブラハムは神の約束の土地であるカナンに自分の土地を手に入れることになり、マクペラの畑の洞穴にサラを葬った。
寄留者であったアブラハムがついに約束の土地に拠点を持つことになったということでもあるのだろう。
墓はなんであるんだろう、と常々思っている。ネットを見ると仏教的な考えなのかな、ほとんどは供養のためと書いてあり、また墓参りをすることは亡くなった者にとっても墓参りをする者にとっても徳を積むことになる、そのための墓だというようなことがよく書かれている。もちろん宗派によっていろいろと違うみたいだが。
一緒にここに入ろう、とかいう墓地の宣伝もあるけれども、死んだらそこにずっといるんだろうかと疑問に思う。私のお墓の前で泣かないで下さい、そこに私はいません、なんて歌もあったけれど、遺体や遺骨がそこには確かにあるわけだ。でもやっぱり生きているかのように墓に住んでいる、そこで誰かが来るのを待っているというわけではないだろうと思うし。
では墓ってなんなんだろう。そこにいないとしたらそこに会いに行くというわけでもないみたいだし。墓は悲しむ場所かもしれないと思う。残された者が別れを思いっきり悲しめる場所かなと思う。
そして別れを受け止める場所、もう会えないということをしっかりと受け止める場所、また亡くなった人がいなくなった世界を生きていくと決意する場所、そこが墓なのかなという気がしている。
墓も葬りもそうだけれど、それぞれ人によって意味合いが違ってくることかもしれないなという気がしてきている。分かち合いでそれぞれどういう風な考えを持っているか聞かせてほしいと思う。