礼拝メッセージより
食事
何度もいう話しですが、タイに行っている宣教師がこんなことを言っていた。
全然関係ないですが、今年サンフレッチェにティーラシンというタイの選手が在籍している。タイの英雄と言われているそうで、タイではものすごく有名だそうだ。英雄とは言ってもたかがタイの選手だしどうなのかと思っていたら、やたら上手くてびっくり。勝手に見くびっていたことを反省している。
「タイの教会では毎週みんなで楽しく食事をする。大きな教会には食事の時間になると教会に屋台がやってきて、その屋台から食事を買ってみんなで食べる。食事が終わる頃にはアイスクリームの屋台がやってくる。みんなで楽しく食事をするのがタイの教会の習慣である。やはり教会はそんな楽しいところだ。」
日本のある小さな教会の高校生が、礼拝が終わった後にみんなでケーキを食べるの楽しみだ、と書いていた。小さな教会なので自分と同じ世代の者が大勢いるわけではないと思うので、そのケーキも子どもや年取った人なんかと一緒に食べていたと思うけれど、そうやって一緒に何かを食べるというのを楽しみにしているというのがとても印象に残っている。
嬉しいことやお祝い事があるとみんなで食事をするという習慣は世界中であるみたいだ。一緒に食事をするということは、それだけの繋がりがあるということであり、またそこで繋がりを深めるということにもなるのだろう。教会にとっても一緒に食事をしたり一緒にお茶を飲むのは大切なことなんだろうなと思う。
主の晩餐
当時のコリントの教会でもみんなで食事をする習慣があったようだ。そして今で言う主の晩餐もその時にしていたらしい。
当時の主の晩餐は今のように礼拝の中で小さなパンと杯でするというような、食事とは別の時間に決まったやり方があるというわけではなく、実際に食事をしながら、イエスの十字架の死を記念していたようだ。
その食事はみんなで持ち寄る、今で言う持ち寄り愛餐会のようなものだったそうだ。
ふさわしくない
ところがパウロはそんなコリントの教会の食事について、ほめるわけにはいかない事柄がある、あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いている、というのだ。それは、食事の時各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者がいるという始末だからだというのだ。
恐らく金持ちの人が他の人の分もということで食事をいっぱい持ってきていたのだろう。そして金持ちは時間的にも余裕があって早い時間から集まっていたのだろう。一方奴隷とか貧しい人達はギリギリまで仕事があったりして遅れてくるようなこともあって、食事にも遅れてくる者もいたのだろう。そんな中で、片や一杯食べて飲んで満腹になっている、片や食べ物もなく空腹である、そんな状態になっているではないかというわけだ。
教会で一緒に食事をしようというのに、しかもイエスの死を記念する主の晩餐を一緒に食べようというのに、貧乏な人達や仕事などの都合で遅れて来る者のことを配慮するということがないではないかとパウロはいう。あなたがたには食べたり飲んだりする家がないのか、それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのかという。待てない程腹が減っているなら家で食べてこいと言うことのようだ。
教会での主の晩餐の食事は、ただ仲間うちでわいわい騒ぐ食事とは違うということ、イエスの十字架の死を思い出し、神が貧しく無に等しく、ふさわしくない者を招いてくれているということを思い出す食事であるということだ。愛される価値のないあなたたちを神は愛して憐れんでくれている、なのに神に愛されているあなたがたが、教会の貧しい人たちのことを配慮しないとはどういうことか、とパウロは言う。
27節には、「従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。」とある。
ふさわしくないままで食べたり飲んだりしてはいけないということで、ふさわしくない人が主の晩餐を食べてはいけない、つまりバプテスマを受けていない者、クリスチャンでない者がパンと杯を受けることは許されないのだと考えられてきたようだ。けれどもこの話しの流れや、その後の33、34節に「わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。」とあるように、ふさわしくない者というのは、バプテスマを受けていない者とかいうことではないし、あるいは自分は信仰が薄いからとか、罪が深いからと言って、自分はふさわしくないと思っている人のことでもない。そうではなく、遅れてくる人達のことが待てないで食事を始めてしまうことであり、そんな状態で主の晩餐をしてしまうやり方のことであるということになる。
ここを「ふさわしくない仕方で」と訳している人もいるけれど、そっちの方がふさわしいようだ。ふさわしくない『人』ではなく、ふさわしくない『方法』のことを言っているようだ。
なので本来主の晩餐には全ての人が招かれていると考えているので、この後の主の晩餐でも神に招かれていると思う人はパンと杯を取っていただきたいと思う。
記念
主の晩餐についてパウロは主から受けたものだという言い方をして、イエスが十字架につけられる夜の食事の際に、わたしの記念としてこのように行いなさいと言われたと書いている。
わたしの記念とはどういうことなんだろうか。イエスが旧約聖書に書かれているような献げ物となってくれたことの記念なんだろうか。イエスが私たちの罪のための献げ物となってくれたことで私たちが赦されたということなんだろうか。旧約時代から牛や羊を殺して献げてきたユダヤ人の感覚だとそういう説明で納得できるのかもしれないし、理屈としては分かる気もするけれど、本当はそうなのかもしれないけれど、僕としては消化しきれない感覚がある。
福音書を見ると、イエスは徴税人や罪人と一緒に食事をしていて、イエスの弟子たちがそれを見たファリサイ派や律法学者たちからどうしてこんな人達と一緒に食事をするのかと言われたなんてことが書かれている。ファリサイ派や律法学者たちは徴税人や罪人たちとは一緒に食事をすることはなかったということだ。そういう人達を区別し差別していたわけだ。自分達の清さを守るために、罪人である穢れた人達との交わりを避けていたようだ。そして清い自分達こそ神に守られている、神に愛されていると思っていたんだろうと思う。
しかしイエスは罪人とされる人達と一緒に食事をした。ユダヤ教の指導者たちが差別していた人達と一緒に生きていた。良い人間と悪い人間、清い人間と穢れた人間、罪のある人間とない人間、そんな区別は神にはないということ、全ての人間を愛しているということ、神の愛はそれほど大きいということ、そのことをイエスはその生き方を通して示してきた、体現してきた。十字架で処刑されるまでその生き方を貫いた。
主の晩餐の「わたしの記念として」というのは、そんなイエスの生き様を思い出し心に刻むということなんではないかと思う。どうして罪人や徴税人と一緒に食事をするのかと聞かれた時のイエスの答えは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」というものだった。罪人を招くために来た、というイエスの言葉、イエスの思いを聞き直すこと、罪人であるこの私を招いてくれている、受け止めてくれている、愛してくれている、そのことを改めて噛みしめる、それがイエスを記念することなのではないかと思う。
そうやってイエスが人間が作った垣根を打ち壊して私たちのところへ神の愛を伝えてくれたのに、教会の中で貧しい人達のことを配慮しないで、逆に疎外して軽んじるようなことをして新たな垣根を作るようなことをするとは何事か、それはイエスの思い、イエスの生き様に完全に逆らってるじゃないか、パウロはそう言っているんだろうと思う。
背中を見つつ
とまあ、人様の教会の批判は気楽に聞けるけれど、私たちはどうなのだろうか。私たちは教会にやってくる人たちをどんな風に見ているだろうか。いつの間にか私たちも、教会に来る人たちのことを品定めするようなところが多いのかもしれない。
品が良くて、人当たりがよくて、金持ち、才能もありそうな人のことは大事にするけれど、よれよれの服を着て、目つきが悪くて、挨拶もあまりしない人のことは変な奴がやってきた、なんて思ってしまう。自分の方がまだましだ、なんてことを思ってしまう。
主の晩餐とは、まさにそんなことも含めて自分のことをもう一度吟味する時でもあるのだろうと思う。
イエスの生き様を見つめ直し、イエスの背中を見つつその後をしっかりとついて行ってるかどうか、イエスの道とは違う道を進んでいないか、そしてイエスの前に出しゃばっていないか、そして私たちが共に神に愛されこの教会に集められていることを喜んでいるのかどうか、そのことを考え直す時でもあるのだと思う。