礼拝メッセージより
子ろば
そう言えばロバを実際に見た記憶がないなあ。映画とかに時々出てくるイメージしかない。小さな荷物を背負って、とぼとぼと歩くおじいさんに連れられてゆっくり歩いているという感じかな。
旧約聖書の規定では、すべての家畜の初子、つまり最初の子は神へのささげ物としなければならない、とことになっていた。しかし、ろばの子は例外だった。ろばの子はささげなくてもよかった。(「ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖わねばならない。」 出エジプト記13:13 )
ろばというのは大した動物ではなかったということか。神にささげるものとしては役に立たないものだということだったのかもしれない。馬や牛を持てない庶民はろばがその代わりとなっていたようだ。
エルサレム入城
イエスはそんな子ろばに乗ってエルサレムに入っていった。普通新しく権力者になるものは馬に乗って都へ入っていった。戦争に勝って、相手を征服したときには、馬に乗って相手の都へ入っていった。馬は権力の象徴でもあった。また軍事力でもあった。旧約聖書の箴言21:31に「戦いの日のために馬が備えられるが、救いは主による」という言葉がある。戦うためには、普通人間は馬の準備をする。支配者はこんなに強いんだということ、またこんなに軍事力があるんだということを見せつけるためにも馬でやってくる。しかしイエスは子ろばに乗ってエルサレムへ入城した。
その子ろばを連れてくるようにとイエスは弟子たちに命令する。主がお入り用なのですと言われたら許してくれた、と言うのはどういうことなんだろう。
イエスが神の力を発揮して仕組んだことのように書かれていて、実際そうなのかもしれないけれど、「向こうの村」というのがベタニアだとすると、そこにはマルタとマリアなどイエスのことを知っている人達がいたようで、イエスの頼みであるならばということで許可してくれたということなのかなと思う。
ホサナ
二人の弟子が連れて来た子ろばに自分の服をかけるとイエスはそれに乗った。群衆は上着を道にしき、葉のついた枝を敷いてイエスの道を飾った。そして「ホサナ」と言ったとある。これはもともとは「お助け下さい」、「今、救ってください」と言うような意味があったそうだが、その当時には王を迎える言葉としての決まり文句のようになっていたらしい。
服や葉の着いた枝を敷いたりホサナと叫ぶというのはまるで王を迎える時のようだったのだろうけれど、そこへやってくるのは多分ふらふらしながらやってくる子ろばに乗り、田舎者の弟子たちを従えた一人のおじさんなわけだ。
ホサナとは言っているけれど、それは心からの歓喜の声ではなく面白がっていった言葉であったのではないかという気がしている。たまたまロバに乗ってやってきたイエスを見つけて、それを面白がって王の入城のようにして迎えたというお遊びだったような気がする。
聖書教育には、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」というのは詩編118:25-26の引用で、エルサレム巡礼の時によく歌われていた賛歌だったそうだ。エルサレムにやってきたことをみんなで喜び歌を歌っていた、そこに丁度子ろばに乗ったイエスを見つけて、ここに王もいるぞ、と盛りあがったってことなんじゃないだろうか。王を迎えるまねごとをしながら、みんなで楽しく歌っていたということなのかもしれない。
案外イエスもその悪ふざけに混じって一緒に歌っていたのかもしれない、なんて想像する。
イエスがなぜ子ろばに乗ったのかという理由は分からない。子ろばを連れてくるように弟子たちに命じたときにもその理由を言っていない。しかし後々になってあの時の悪ふざけは救い主のエルサレム入城にふさわしい出来事だった、ホサナという言葉はイエスにふさわしいかけ声だったという風に理解されたということなのではないかと思う。気付かないうちに救い主を迎えるにふさわしい歌を歌っていたと後から気付いたんじゃないかと思う。
ひっくるめて
イエスはそんな人びとの無理解も誤解も咎めるつもりもなく、エルサレムへやってきたことを喜び歌っている人達と一緒に楽しんでいるような気がしている。イエスは自分のことを理解しろなんて思ってもなくて、そんなことよりもいろんな重荷や苦しみを抱えつつ生きている人達に徹底的に寄り添っていく、重荷も苦しみも挫折も失敗も全部ひっくるめてその人自身を大事にしていく、そして一緒に喜び一緒に泣く、それがイエスの生き様だったように思う。
イエスはそんな風にして今私たちにも寄り添ってくれているのだと思う。すぐ隣でイエスが笑っていると思うととてもホッとする。