牧師のひとり言の目次
見えないもの
「土方殺すにゃ刃物は要らぬ。雨の三日も降ればよい」という都々逸があるそうです。「牧師殺すにゃ刃物は要らぬ。皆で礼拝行かねばよい」と思うこのごろです。
礼拝に誰が来たとか来なかったとか、人数が増えたとか減ったとか、そんなことに一喜一憂しています。そんなことにとらわれずに、自分のすべきことを淡々とこなせばいいと思うけれども、なかなかそう思えません。
聖書には見えないものに目を注ぐなんて言葉もあるけれど、なかなかそうはいきません。見えないものにどうやって目を注ぐのかとうそぶきつつ、やっぱり目に見える結果に捕らわれてしまうというか、目に見える結果がないとなかなか安心できません。
でも見えないものによって希望を持てるとすれば、それは朽ちることも無くなることもない最強の希望だなという気もします。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙二4:18)