牧師のひとり言の目次
疑 問
先日韓国のドラマで、小学校に入学したばかりの子供を母親が学校に送り届ける場面がありました。その母親は子供に向かって「先生にいっぱい質問するのよ」と言って送り出していました。日本だと「先生の言うことをちゃんと聞くのよ」と言いそうだなと思いながら見ていました。
日本の学校は先生の言うことをよく聞いて、教科書に書かれていることを覚えることを目指しているような気がします。おかしな校則があってもなかなか変えられないし、部活でパワハラが横行してもなかなか無くせないようです。ルールに対しても、先生や指導者に対しても、疑問を持つこと自体が悪いことのように見られがちです。
教会に来始めた頃、聖書を教科書のように思い、そのまま信じなければいけないものだと思っていました。でもこの頃は、普通に読めば聖書にも不思議に思うことや疑問に思うことがいっぱいあるなあという気がします。
こんな言葉を見ました。
「疑うことによって、我々は問いに導かれ、
問うことによって、真理に到達する。」
(ピエール・アベラール/中世フランスの論理学者・キリスト教神学者)
疑問を持つことで真理に到達し、そしてそこには感動が待っているような気がします。