牧師のひとり言の目次 

琴線に触れる


 子供のころはよくテレビを見ていました。1日に1時間とか2時間までしか見てはいけない、なんてことを言われながら、そんな時間で収まるわけはなく家に帰ってからはテレビが中心の生活だったように記憶しています。テレビで放送しているんだからそれは本当のことだという気持ちでいました。
 そんな半分テレビに育てられたようなテレビ少年でしたが、最近はテレビでいろんなことが気になるようになってきました。
 「驚くべき」、「とんでもない」、「信じられない」なんていう言葉をよく耳にします。何を話したか、何が起こったかということを言う前に、こういった修飾語をつけることがよくあります。しかも修飾語だけ先に言って、肝腎の内容はコマーシャルの後だったりします。
 驚くべきことなのか、とんでもないことなのか、信じられないことなのか、あきれたことなのか、けしからんことなのか、それを最初から決め付けないで欲しいと思うんです。せめて何を話したか何が起こったのかを伝えて、その後でそれは良いとか悪いとか言って欲しいと思います。
 テレビ局がそこまで意図しているとは思いませんが、物事に対してどう感じるかということを一方的に決め付けられてしまっているような、こういう風に感じるのが当然だと押しつけられているような、そんな気にもなってしまいます。
 私はそうは思わないというような、自分の素直な感じ方も、また他の人の素直な感じ方も、もっともっと大事にしないといけないんじゃないかと思います。
 素直にテレビを信じるテレビ少年だった自分が、文句ばかり言いながら見るようになったなんてのは全く驚くべき事です。