牧師のひとり言の目次 

悲 哀


 英語の単語を覚えるのは大の苦手だったけれど、たまたま誰かの本に書いてあったのでテストで 珍しく自信を持って回答したのが minority(少数派) という言葉でした。
 四国から大分の大学に入った時に九州の言葉がまるで分からなかったり、就職して出向に出された会社ではそこの工場の運動会に参加させてもらえなかったり、広島にいるのにサンフレッチェの話しがなかなか通じなかったり、いろんなところで自分はいつも少数派なんじゃないかと思うことがあります。
 でもよくよく考えるといつも少数派というわけではなく、日本人らしいし、性的多数派みたいだし、難病を患ってもいないし、むしろ多数派に属することの方が多いのかもしれません。多数派にいると少数派のことはなかなか気付かなくて、気付いたとしてもその人たちを異常だとか、おかしいとかいう目で見てしまいがちのような気がします。
 教会に通ってるとかキリストを信じてると言うと、変わった奴だと見られて嫌な目に遭ったりすることもあります。言葉に出して言われなくても、少数派の悲哀を感じることもあります。でも案外私たちも別の少数派の人達を同じような目で見ているのかもしれません。
 聖書を見るとイエスはいつも少数派の側にいたようです。イエスは悲哀を味わっている人を放っておけないのではないかという気がしています。
 実は誰もが少数派の部分を持っているのではないかと思います。自分だけがどうしてこんな人間なのかと誰もが思うのではないでしょうか。しかしイエスはそんな悲哀を味わう人に寄り添ってくれているのだと思います。