牧師のひとり言の目次
当たり前
世の中は男と女の二種類に分けられ、誰もが異性を好きになり、それが当たり前の自然の摂理だと思っていた。しかし身体の性と意識の性が一致しない人や、同性を恋愛の対象とする人がいることを知った。
また先日テレビを見ていて、ディスレクシアという文字の読み書きが困難であるという障害があるということを知った。会社を経営しているけれど、自分の名前や住所を書くのも難しいという人が出演していた。
この数年言葉が出にくいことあって、それを調べていると、吃音の一種のブロックというのに似ているようだった。吃音者は100人に一人くらいの割合でいるとのことだった。
男に生まれたら男らしくして女を好きになるのが当たり前で、名前を書くのも話すのも普通に出来て当たり前だと思っていた。でもどうやら必ずしも当たり前ではないようだ。
当たり前なことなんて本当はないのかもしれない。けれどもそれを当たり前だと言うことは、そうでない者を苦しめることになる。案外誰もが当たり前でない部分を持っていた、互いに苦しめあっているような気がしている。
イエス・キリストは当たり前と言われることで疎外されている人のところへ出向いていた。そして当たり前になれない私たちの所へも来てくれているに違いない。
「人の子は、失われたものを探して救うために来たのである。」(ルカによる福音書19:10)