牧師のひとり言の目次
嘘つけ
嘘をつかれた時に怒って言う言葉、「嘘つけ」と「嘘つくな」。「つけ」と「つくな」と反対なのに、「嘘」が前に付くとどうして同じ意味になるんだろう。
親は子供に対して「嘘をつくな」と言いいます。嘘は相手を騙し相手を傷つけ苦しめることにもなりかねず、それはしてはいけないことなのだということでしょう。しかし一度も嘘をついたことがないという人はほとんど嘘つきであって、嘘をつくなといわれてもなかなかできるものではありません。
ところで嘘は相手に対するものだけではなく、自分に対するものもあります。そして自分に嘘をつくことは自分を苦しめることであると思います。
文句があるのに平気な顔をする、苦しいのに平気だという、着たくないものを着る、歌いたくないものを歌う、嫌いなのに言わない、信じられないのに信じていると言う、反対したいけど何も言わない、、、。
相手の機嫌を損ねないためだったり、相手の圧力に負けてだったり、あるいは空気を読んでだったり、いずれにしても自分の正直な思いに反する行動をとることは、自分に嘘をついていることなんじゃないかという気がしています。そしてそれは実は自分で自分を傷つけていることなんじゃないかと思います。
そうすることで周りからの評価は上がるかもしれません。でもそれで自分を傷つけているとしたら、一体誰のための人生なのでしょう。
「自分に嘘をつくな。自分を大事にしろ。」、神さまはそう言われているのではないでしょうか。
聖書では『隣人を自分のように愛しなさい』と言われています。自分を愛せないものは隣人も愛せないのでしょう。