牧師のひとり言の目次 

優 秀

 小学校の授業の時、一度だけ自分から手を挙げて発言したことがあります。普段は、間違ったらどうしよう、間違ってはいけないのだ、間違うことでみんなから変な目で見られるかもしれないという気持ちを持っていたので手を挙げて発言するなんてとても出来ませんでした。ほんのわずかでも間違っている可能性があると思うような時には黙って座っていました。それどころか、いつ先生に当てられるかと、ほとんどいつもびくびくしていました。
 そのためいつも、引っ込み思案、内向的、消極的、と言われてました。もっと積極的に発言するように、と周りからいつも言われていました。だから学校の授業はずっと苦痛でした。

 優秀でないと認めてもらえない、いつも優秀でないといけない、なんて思っていることはとても苦痛です。間違ったり失敗したりすることが許されないという思いがある時は、いつもびくびくしていないといけません。
 間違いも失敗も許されなければ、優秀であることをいくら誉められようとも、心から喜ぶことはできないような気がします。