牧師のひとり言の目次 

共 感

 あるテレビ番組の中で、脳の研究をしている科学者が、「コミュニケーションとは何かを共有すること、現代は情報はいっぱい共有しているけれども、人間にとって大事なのは感情を共有すること」というようなことを言っていた。
 世の中にはいろんな人がいる。顔だけ知っている人、名前や住所まで知っている人、学校や勤務先を知っている人、どんなことが好きなのかも知っている人。
 でも気持ちまで知っている人って結構少ないなあ。ただ単に僕自身がコミュニケーションを取るのが下手な所為なんだろうか。昔から自分の気持ちを伝えることがすごく苦手だ。例えば愚痴をこぼしたいような時でも、そんな時は仕方ないとか、お前がそんなことするからだとか、相手も悪い人じゃない、なんて言われてしまうと、そんなことは聞きたくないと言われているようで、もうそれ以上言えなくなってしまう。逆の立場になると同じようなことを言って相手の気持ちを聞かないことが多いけれど。
 状況は詳しく聞いても、嬉しい・楽しい・悲しい・苦しいというような気持ちを聞いてそれを共有することは、実はほとんど出来ていないことなのかもしれない。でもやっぱり人は状況よりも気持ちを聞いて欲しくて、気持ちを受けとめてくれることで安心して次の一歩を踏み出す力も出てくるような気がする。そんな関係を持つところに人間の一番の喜びがあるような気がする。

 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12章15節)