牧師のひとり言の目次 

棒暗記

 少し前、納豆がダイエットに効果があると言っていたテレビが嘘だったと大騒ぎしていました。でもテレビが嘘を言ったことよりもびっくりしたのは、そのために納豆が飛ぶように売れて品切れになったということでした。健康番組で取り上げる食材がその日はよく売れるとか、それが分かっているから予め多く仕入れているなんて噂も聞きます。日本人はそんなに素直なんでしょうか。
 そんなに素直に信じてくれるなら「教会に来れば幸せになれます」ってテレビで言ったら次の週の礼拝が会堂いっぱいになるのだろうかなんて思ってしまいます。

 学校では覚えるようにということばかり言われてきたきたような気がします。年号や出来事や本や人や、内容はほとんど知らなくても名前や数を覚えていればテストでいい点が取れます。でもそれらは、みんなでクイズ番組を見ている時に自慢できても、自分の人生にはほとんど役に立っていないような気がします。

 悩んだり失敗したり挫折したりしながら、そこで見つけ出したものこそが自分にとって役に立つものとなっているような気がします。食べ物も噛み砕いて消化しないと身にならないように、ただ棒暗記で覚えたものは血となり肉とはならないようです。
 聖書もそうかもしれません。悩みつつ苦しみつつ見つけ出した言葉こそが、自分の人生の支えとなっていくような気がします。
 『あなたの御言葉が見いだされたとき/わたしはそれをむさぼり食べました。あなたの御言葉は、わたしのものとなり/わたしの心は喜び躍りました。』(エレミヤ15:16)