牧師のひとり言の目次
疑 い
大人になるといろんなことがだんだんと分かってくるのかと思っていた。近所のこと、世界のこと、社会のこと、そして人間のこと、人生のこと、だんだんと分からないことが減ってきて、老人と言われるような時にはほとんど何でも分かるようになっているのかと思っていた。
教会に長くいて立派なクリスチャンになるほど、教会のことや神さまのことなどがよく分かってきて、疑いも迷いも減ってくるのかと思っていた。
そしてまるでそうならない自分は駄目な人間、駄目なクリスチャンなのかと思っていた。
あるテレビドラマでこんな科白があった。「彼は常に自分の信仰心を疑っていました。だからいい神父になれたんです。」
そうなんだろうな、きっと。疑いつつ躓きつつ生きていく、それこそが人間なんだろう。神にはなれないし、神になったかのように振る舞ってもいけないんだろう。神のようになることが大事なのではなく、しっかりと人間であることが大事なのだ。それは自分の駄目さを認めることなのかもしれない。とても難しいことではあるけれど。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(ヨハネによる福音書8:7)