牧師のひとり言の目次
心 配
なんだかいつもいつも心配している。今晩会議があると思うと、具体的に何かがあるというわけでもない時でも、朝からずっと気になって落ち着かないなんて事も多い。だから懸案事項があったりすると何日もそのことが気になってしまう。そうするといろんなことが億劫になってしまう。何もなければすぐに済んでしまうような仕事も後回しにしたり、どこかへ出かける元気もなくなってしまったりする。でもたいてい会議は思った以上にあっけなく終わってしまう。そして終わった途端にまた元気になり、心配して損したなんて思うことがしばしばだ。
どうしてこんなに心配性なんだろうか。全く嫌になってしまう。何でも平気そうにこなしている人を見ると、とても羨ましくなる。
思えば人生でどれだけ心配しただろうか。人生の三分の一は布団の中とか言われるが、残りの時間の大半は何かしら心配していたような気がする。布団の中でもかなり心配してたかな。
大して仕事をしてきていないというのもあるけれど、仕事をして疲れるよりも心配して疲れることの方が多かったような気がする。心配するエネルギーを他にまわせていたら今頃は、なんてことも思う。
イエスは「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:34)と言う。
明日の心配と明後日の心配とずっと先の心配と、そば屋の出前のように(本当は実物は見たことないけど)、心配を一杯積み重ねて生きているような気がする。そりゃしんどいよ。せめて今日一日の心配だけにしなよってイエスは言っているみたいだ。それが出来れば人生も楽に、楽しくなりそう。