牧師のひとり言の目次
力を抜く
高校時代陸上競技をしていた人から面白い話しを聞きました。世界大会の短距離走では選手の頬が後に引っ張られたようになっていて、それは顔の力を極限まで抜いているからだというのです。その人も練習の時にはいつも力を抜け、力を抜けと言われていたそうです。そう言えば合唱の練習の時にも毎回のように喉の力を抜くようにと言われます。
速く走るためには、あるいは大きな声を出すためには全身に力を込めないといけないような気になっていましたが、どうもそうではないようです。それよりも余計な力を抜くことが大事なようで、力を込めるよりも力を抜くことの方がよっぽど難しいようです。
人生も力を込めることよりも力を抜くことの方が大切なのかもしれません。いつでもどこでも力を入れているとずっと緊張しっぱなしで余裕がなくなり、イライラし疲れ切ってしまいます。
力を発揮できない時ってのは、力が足りない時よりも、力をうまく抜くことができない時が多いのかもしれません。
能力を十分に発揮するためには力を抜くことが大切なような気がします。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11:28-30、イエス・キリストの言葉)