牧師のひとり言の目次 

希 望

 大人になったらこうなりたい、数年後にはこうなっていたい、来年はあそこに行きたい、来週はあそこを片づけたい、今晩はあれを食べたい・・・。人は大きなものから小さなものまでいろんな希望をもって生きている。
 順調にいっているときや元気な時はその希望を実現しようと頑張れる。しかし何かことが起こったり疲れたりすると頑張る気力も失せてきて、だんだんと希望もしぼんでしまう。
 人は何かしら希望を持っているから生きる力も沸いてくるわけで、完全に希望がなくなってしまったらとても生きていけそうにない。
 大きな挫折や大きな失敗によって希望がしぼんでしまう。ほんの小さな挫折や失敗でも、すっかり希望をなくしてしまうこともある。まるで希望がなくなってしまうような、いったいどこに希望があるのかと思えるようなことが起こる。
 イエス・キリストは十字架で死なれた。奇跡を起こすこともなく絶叫して死なれた。希望が完全に消え失せたように見える。しかし父なる神はこのイエスを復活させた。真っ暗闇に光が差した。希望が生まれた。
 地位や名誉や才能や財産や、私たちにとっての希望が全部消えた時、あるいは私たちが死を迎えた時、そんな時にも私たちの外から希望の光は差し込んでいる。何もかもなくした時、なおそこにある希望、それがイエスが与える希望。
  「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリントの信徒への手紙一 13:13)