牧師のひとり言の目次 

使うこと

 新潟の地震と水害のために、スペインのチームに所属しているアルゼンチンの選手が支援金を送ってきたそうだ。
 プロスポーツの選手達がいろんな寄付をするという話しをよく聞く。彼らは高額の給料を貰っているが、だからこそ貧しい人や苦しんでいる人たちを助けるのが自分達の務めである、というような話しを聞いたことがある。
 私たちはそれぞれ神さまからいろいろな賜物を貰っている。教会では、あの人はあんな優れた賜物を貰っているが自分には賜物がない、というような話しを聞くことが多い。私たちは神さまからの贈り物によって生きている。命も才能も財産も、もとはといえば神さまからもらったものであり、賜物である。
 賜物というのは、プロ選手のように分け与えるために与えられているような気がする。賜物とは誰がどれだけ持っているかと言って競争し、自慢したり卑下したりするようなものではなく、みんなに分け与えるために神さまから預かっているもののような気がする。そうすると問題は賜物があるかないかではなく、それを分けているかどうかだ。どんな多くの賜物、優れた賜物を持っていても、誰かのために使うということをしないならばそれはきっと腐ってしまうのだろうと思う。
 自分の才能や財産や時間などを誰かのために使う、そこで私たちは生き生きと生きることができるのだろう。人生に喜びが少ないのは、誰かから貰うものが少ない時ではなく、誰かのために自分のものを使うことが少ない時なのだろう。