牧師のひとり言の目次 

赦すこと

 ある人から突然「私はあなたを赦します」なんて言われてびっくりしたなんて人がいました。思い当たる節がなくて、ちょっとムッとしたそうです。
 赦すということは相手を何かの罰から解放してあげることのように考えがちです。だから、あんな悪い奴を赦してなるものかとか、あんな奴でも赦してやったのだ、そんな風に思います。しかし絶対赦してやらないという気持ちをずっと持ち続けることは、とても辛くしんどいことです。敵意を持ち続けることは相当なエネルギーが必要です。相手が悪いのだからずっと苦しめばいいと思いつつ、実際は自分自身がことあるごとにその相手のことを考え、気分を悪くさせられ疲れ果ててしまうということになりがちです。
 あるところに、赦すというのは相手にプレゼントをあげることではなく自分にプレゼントをあげることだ、というようなことが書かれていました。赦すということは、相手を罪の重荷から解放してあげるというプレゼントをあげることでもあるのでしょうが、それ以上に相手の罪や非を責めずにいられない嫌な思いに心を占領されてしまう自分を、そんな思いから解放してあげるという自分へのプレゼントなのでしょう。
 自分へのプレゼントだとすると「あなたを赦します」「赦してあげます」なんてのも勝ち誇ったように偉そうに言う言葉ではないような気がします。

 「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」(コロサイの信徒への手紙3章13節)