牧師のひとり言の目次 

本 音

 「本音を語ってくれました。」テレビで、誰かのインタビューを聞いた後などによくこんなコメントを聞きます。
 でもそれを聞くたびに思うのです。どうして本音だと分かるのだろうか、どうして本音だと思うのだろうか、と。結局は聞いた側が期待していることを語ったというだけ、聞いた側がこの人はこう思っているに違いないと思うことを語ったというだけでしかないのではないかと。
 なんとなく周りの雰囲気を察して、差し障りのないことを言うことが多いわけですが、それでは心が触れ合うということにはならないような気がします。そしてそんなことばかり繰り返していくと、だんだんと心は堅く、重く、苦しくなってしまいそうです。
 本音を語るには、本音を語れる場所が必要なのかなと思います。何を語っても聞いてくれる所でないと語れません。そんなこと言うもんでは、そんなこと言ったって、それはおかしい、それは間違っている、なんて言われる所では本音は語れません。本音を語ることの出来る場所を持っていることはとても幸せなことのように思います。
 本音を語る一番いい場所、それは「祈り」のような気がします。二番が教会、だったらいいのですが。