牧師のひとり言の目次
死
最近どういう訳か、人間は結局死ぬんだということをよく考えます。
先日、何だったか忘れましたが大変な苦しみを経験した人が、今度は同じ苦しみにある人を助けるために生きるというような話しをしていました。少し前までは立派な生き方の人もいるもんだと思うだけでしたが、その時は、結局は助ける側も助けられる側もいずれは死んでしまうのだ、なんてことを考えていました。
だったら何だか何もかも空しいことのような気もします。人に親切にすることも、愛することも、どれほどの意味があるのでしょうか。結局はみんななくなってしまいます。
では、何も残らないからどう生きようと、何をしようとどうでもいいかというと、やはりそうではないような気がします。
案外残るものにばかり気が向いているのかもしれません。人に親切にしたことを相手からずっと感謝していて欲しいと思ったり、かつての偉大な業績をずっと誉めていてほしいという気持ちは確かにあります。でもそればかりを期待しても、いずれその相手も自分も死んでしまうのです。残すことばかりを考えていると全てが空しくなりそうです。
誰かのために生きること、誰かを愛すること、誰かに親切にすること、この先いい人間と見られるようになるためにそうするのではなく、そのことを自分自身が喜びとすることが大事なのかもしれません。みんな死んでいなくなるけれども、だからこそ、将来に支配されて空しく生きるのでも、過去に支配されてただ昔の栄光にすがりつくのでもなく、今ここに共に生きていることをもっと大事にしないといけないのかもしれません。