牧師のひとり言の目次 

言い訳

 人が失敗したときには偉そうなことを言っておきながら、後で自分も同じ失敗することがあります。いつも親切そうな顔をしておきながら、いざというときには自分のことしか考えていなかったなんてこともあります。そんな時、ここがこうだったから、あの人があんなことしたから、思いもよらないことが起こったから、なんていう風にどう弁解しようかということばかり考えてしまいます。誰から何かを言われたわけでもないのに、変な目で見られた訳でもないのに、一所懸命に言い訳を考えることがよくあります。でも案外周りは何も気にしていなかったなんてことも多いですが。
 自信にある人は自分の失敗を自分で笑えるらしいけれども、なかなかそうはいきません。失敗したらそれを何か他の所為にしようとして、なかなか自分の失敗であることを認められません。自分の失敗を自分で認めることができず、それを笑うことなど尚更できません。
 どうして一所懸命に言い訳ばかりを考えるのだろうかと思っているうちに、それはもしからすると自分を赦していないからかもしれないという気がしてきました。自分で自分を赦せない、だから必死で言い訳しようとするのかもしれません。人のこともなかなか赦せないわけですが、それも自分自身を赦せていないというのが原因なのかもしれません。自分を一番赦さない、そして神の赦しを一番拒否しているのは自分自身なのかもしれません。