牧師のひとり言の目次
謝 罪
少し前のことになるけれど、厚生省の昔の過ちを大臣が謝ったことがあった。もちろん過ちを犯した当時の大臣ではなく、過ちを認めた時の大臣が謝った。
過ちを犯した当人が、あるいはその時の大臣が謝らなければ意味はないのではないか、いくら同じ役所だからと言っても今の大臣に謝られても仕方ないのではないか、その時はそう思った。
でもそうでもないかもしれないと思うようになってきた。謝るということは、迷惑をかけたり苦しい思いをさせたことを相手に詫びて赦しを乞うということだけではなくて、その相手の苦しさや辛さ、そして憎しみや怒りを受け止めるということでもあるような気がする。
自分に関わりがあることでもなるべく誰かのせいにしておいて責任を逃れたいと思うのが私たちの常だ。そうしておけば自分はいい気分のままでいられる。けれどもそうすることで傷つけられ苦しんでいる人の辛く苦しい気持ちは行き場を失ってしまい心の中にずっと留まったままになり、余計に苦しくなってしまう。
謝罪は傷つき苦しむ心を癒し、憎しみや怒りをやわらげる力があるような気がする。誰かの分まで謝罪できればすごいことだ。
しかし自分のこととなると相変わらず謝るの下手だなあ、と思うこのごろ。