牧師のひとり言の目次 

寄り添う

 苦しんでいるものに対して、悲しんでいるものに対して、人はしばしば一段高いところに立ってものを言う。自分はよく分かっている、自分は正しい、自分はしっかりとやってきたというところからの発言は、それがどれほど正しくても、どれほど立派でも相手にとっては何の役にも立たないことが多い。むしろ正しすぎ立派過ぎることから、聞いた側は余計に自分の駄目さを嘆くことになるというようなことも多い。
 失敗し挫折して苦しみ悩んでいる人に対して、ここが間違っていたからそんなことになったのだ、気持ちの持ちようでどうにでもなる、こういう時はこうすれば良かったのだ、というように原因を追求したり対処の仕方を教示することに熱心になることが多い。苦しみを通り越して、そこから抜け出そうとしている人にとってはそれも役立つかもしれない。しかし今苦しみ悩んでいる人間にとっては、苦しい思いを倍加させることにもなりかねない。
 苦しみ悩んでいる人に対して私たちに何かできることはあるのだろうか。何か忠告できることはあるのだろうか。何もないような気がする。ただそこに居ること、苦しみや悩む心のうめきの聞こえるようなところにじっと居続けること、その人に静かに寄り添っていること、それしかないような気がする。本当に苦しい時にはそういう者の存在が一番ありがたい。