牧師のひとり言の目次 

見つめられて

 嫌いな人間がいっぱいいるよりは、好きな人間がいっぱいいる方がいい。でも周りに好きな人がいっぱいいても、自分で自分が好きでなければ悲しい。自分のことが嫌いな者は自分を大事にできず、周りの者も大事にできないような気がする。
 人を大事にするためには、自分を大事にする必要があるようだ。自分を大事にするには、誰かから十分に愛されていることを知ることが必要らしい。
 誰かにしっかり愛され、受け止められ、好かれていることで人は自分を好きになり大事にできるのではないかと思う。自分のことをそんな風にじっと見つめている誰かがいるだろうか。
 神は私たちのことを愛しているという。神は私たちのことを愛する目でしっかりと見つめているらしい。私たちは神からそんな風に見つめられていることをよく忘れてしまい、自分のことを愛される価値のない、生きる価値のない者であることを嘆くことが多いのではないか。価値のない自分は誰も大事にしないと思ってしまう。でもきっと人は価値があるから愛されるのではなく、愛されるから価値があるのだ。
 神にしっかりと見つめられ愛されている、そこに人の価値がある。だから自分は大事なひとりなのだ。だから自分も誰かを大事にできるのだと思う。
 神は私たちをしっかりと見つめてくれている。