牧師のひとり言の目次 

手を広げて

 何かの本で読んだ話。ある国で猿を捕まえるのに、椰子の実をくりぬいて猿の手が丁度入る穴を開け、穴にぎりぎり入る位の石を入れておくそうだ。そうすると猿は実の中にいいものがあると思って穴に手を入れて、中の物を握りしめて取り出そうとする。人が来て逃げようとしても中の物から手を離さない。しかし握ったままでは実から手を離すことはできないので猿は容易に捕まってしまう。そんな話だった。
 私たちもいろんな物ににぎりしめているような気がする。人に対しても自分に対しても、こうあらねばならないという姿を作ってそれに縛られていることが多いのではないだろうか。そしてそうならない相手や、そうなれない自分を責め腹を立て失望し、またあるべき姿と現実を比較してその足りなさに嘆くことが多いのではないか。足りないものばかり見ていても感謝することはできない。
 そんな時私たちはこうあらねばならないという思いに逆に捕らわれていたり、そんな思いを離せないことでどこかに縛り付けられていたりするのではないかと思う。本当に大事なものはもう一度返ってくるだろう。
 あらねばならないという思いを一度手を離してみることで私たちは自由にされる。自由にされることで今まで見えなかったものが見えてくる。人も自分も人間そのものが見えてくるように思う。
 手を離さないでは、新しい何かを手にすることは出来ない。握りしめたままでは降り続く神の恵みや神の言葉も受け取れないのかもしれない。