牧師のひとり言の目次 

隠し事

 何かへまをしでかした時や間違いをした時、そしてそのことを人に知られてしまった時、こんな自分を知られてしまったらもう嫌われるのではないか、変な目で自分を見られるのではないか、軽蔑されるのではないか、なんてことを心配することがある。そして今までの関係が壊れてしまうのではないかというような不安を持つ。そんな不安があるから、自分のダメなところを一所懸命に隠そうとする。そしていい面だけを見せようとする。しかしそうなると、人と会うたびにいつも緊張していなければいけなくなる。いい面ばかりを見せている関係というのは非常にもろい、あるいは偽りの関係でしかないだろう。
 相手が自分のダメなところも、間違いだらけの人間であることも知っていて、その上で成り立っている関係ならば、緊張することもなく隠し立てすることもない。自分の弱さや駄目さを隠さなくてもいい関係ならば、その人と一緒にいることは全く苦痛ではなく、心地よいものとなる。
 世の中、隠し事が多すぎるように思う。いいかっこばかりしすぎるように思う。教会はもっとそうかもしれない。教会に来る時も、神に対してもいいかっこをする。
 人に疲れ、教会に疲れ、神に疲れることがある。それは自分が隠し事をいっぱいしていて、いい人間の振りをし、偽物の自分になろうとしているからではないか。
 神は全てお見通しなのだ。その上で愛していると言っているのだ。もっともっと正直でいたい。
 イエス・キリストは言った。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)