牧師のひとり言の目次
受けること
そんなに落ちぶれていない、憐れまれるような弱い人間ではない、私の方こそしてあげる側だ、なんてことを思って相手からの贈り物を素直に受け取れないことがある。何かをもらうこと、何かをしてもらうことは弱者のしるしであるかのような感覚を持っているような気がする。
真偽の程はよく知らないが、お坊さんが托鉢するのは、相手に善行をさせてあげているのだと聞いたことがある。相手にお布施をさせて善行を積ませてあげる、そのために托鉢するのだそうだ。お布施を受けるお坊さんはただ貧しい弱者だからしているのではないらしい。
喜んで受け取って貰うこと、それは貰った側が嬉しいだけではなく、与えた側も嬉しいものだ。受け取る側よりも与える側の方が喜びは大きいのかもしれないとさえ思う。受け取るということは、逆に与える側に喜びを与えることにもなる。ただ単に何かを手に入れることよりも、与えたり与えられたりするというふれあいがあるからこそ喜びがある。受けることはそんな人の交わりに心を開き、喜びを受け取ろうとすることでもあるように思う。
ある本にはこんなことが書いてあった。「受けることは与えること」。