牧師のひとり言の目次 

弱 音

 地震以来何だかゆっくり眠れない。余震が来たり雨が降ったりすると、二次災害が心配になる。今後の復旧をどうすればいいのか、どれくらいお金がかかるのか、面倒な手続きが必要なんだろうか、そんなことを考えると不安なる。ただ何となく無性に不安感が募ることもある。
 そんなことを連合の総会の時にみんなの前で話をした。多くの人が心配そうな顔で頷きながら聞いてくれていた。そうしたらどういうわけかその日から随分楽になり、結構ゆっくり眠れるようになった。
 弱音を吐くと、牧師がそんなこと言ってどうする、クリスチャンがそんなこと言ってはいけない、男がそんなことを言っては、親がそんなこと、いい大人がそんなことを、と言われそうな気がしてなかなか言えない。そうしてついつい弱さを自分の中に溜め込んでしまう。つらいと言えないことでどんどんつらくなる。疲れたと言えないことでどんどん疲れる。でも弱さを出し、それを受け止めてもらうことで人は癒される。そこで人は安心し力が出てくる、ような気がする。強くなれと言われても余計に苦しくなるばかりだ。
 しかし現実は自分の本来の弱さを隠して、強く明るく立派にしていないといけないような面が多分にあるように思う。社会も、そして教会もご立派になりすぎているような気がする。立派な人は立派にしてもらえばいいが、そうでない者にまで押し付けないでほしい、と弱い頼りない牧師は思う。