牧師のひとり言の目次
あるがまま
神経科の病院に入院しているときに「あるがまま」という言葉を聞いた。結局何をいいたかったのか当時はさっぱりわからなかった。しかし今ごろになって自分のあるがままを自分で認めることの大切さを言おうとしていたのではないかと思うようになってきた。
あるがまま、ありのままの自分を認められないこと、こんな自分では駄目だと自分で自分を裁くこと、そこでは生きることはとてもつらく不安定なものとなる。
そして現実はそれに追い討ちをかけるようなことが多い。そんなことでどうする、まだまだ甘い、こうあらねばならないのだ、という声にいつも追いかけられている。そこで一所懸命にあらねばならない姿に変身する。思ってもいないきれいごとを口にし、やりたくないことをし、したくない格好をし、誰もが認める立派な、しかし本当の自分ではない姿を作っていく。その姿をどれほど認められようと所詮それは本当の自分ではないのだから嬉しくもなく安心することもなく却って苦しむことであったりする。苦しいのにそうするのは、きっと本当の自分を知られることを怖れていることの裏返しであり、何より本当の自分を自分自身が嫌っていて認められないからだろう。
あるがままの自分でいるにはあるがままの自分でいられる環境が必要である。それは自分の正直な気持ち、弱さや嘆きや愚痴さえも吐き出すことのできるところだろう。本心をそのままに聞いてくれる人のいるところだろう。そんなところで人は安心し、そこから次の一歩を踏み出す力が与えられるような気がする。それは小さな一歩かもしれないが、それこそが確かな一歩となるに違いない。