牧師のひとり言の目次 

凹 む

 ボールを硬い床に落とすと、床は変形することなくボールの持つエネルギーを吸収しないのでよく跳ね返る。しかし布団にボールを落とすと、布団が変形しボールの持つエネルギーを吸収してあまり跳ね返らない。
 人も硬い者にぶつかるとそのままはね返されてしまうようだ。苦しみを聞いても、聞く側が硬く何の変化もなければ話す側はそのままはね返されるしかない。聞く側が変形しなければ、苦しみや悩みを理解し、びっくりし動揺しないならば、苦しくならないならば、苦しさのエネルギーは減らない。しかし聞く側が、変形するならば、苦しみを理解し動揺し同じように苦しくなるならば、苦しみのエネルギーはその分減っていく。
 苦しみの原因を解決する力がなくても、相手の苦しみを理解できるならば、共感できるならば、それは大きな力となるに違いない。
 相手の話にびくともしない強い人間には苦しみのエネルギーを減らすことはできない。お前がそんなことするからだとか、これはこうすべきだったのだ、それはお前が悪いなんてことを聞かされても苦しみのエネルギーはなくなりはしない。
 相手の話を聞いて、それは苦しいだろうと共感し、どうしたものかと自分も悩む、そんな風に自分がへこむことで初めて相手の苦しみのエネルギーも少しは軽減できるように思う。
 私たちは相手の間違いを指摘すること、相手を正すこと、相手を変えることにばかり熱心になりすぎて相手の苦しみを理解することをおろそかにしてしまっているのではないか。そして相手の苦しみも自分の苦しみも減らすことができずにいるのではないか。
 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12:15)