牧師のひとり言の目次
揺れながら
大地も揺れてしまった。大丈夫だと思っていた土地が動いた。
ここなら大丈夫と思うものが揺れることがある。しかしそれは相当に大変な事態だ。私たちはみんな何かの上に立っているのだろう。自分の築いてきた実績、自分が磨いてきた能力、自分が育んできた自信、そんないろんなものに自分の足元を支えられて私たちは生きている。
これこそは大丈夫、というような確かなものを手にいれることで安心して生きていけると思っている。しかし何があっても揺さぶられないものを自分の力で手にいれることができるのだろうか。
何があっても揺れない人生を期待する。何があっても揺れないものを手にいれることを求める。そしてそれを神に祈り求める。でもそんなものを自分で持つことはできそうにもない。
些細なことにもうろたえ、戸惑い、落ち込んでしまう。しかしそこからまた一歩を踏み出せるならば、また前に進む事が出来る。揺れながらも次の一歩を踏み出す力があれば生きていける。祈り求めるべきは次の一歩を踏み出す力であって、何事にも揺れない固い信念ではないのかもしれない。揺れながらも生きていけるならば、揺れることをことさらに恐れることもない。