牧師のひとり言の目次
朽ちるもの、見えるもの
年を取ると身体のいろんなところに軋みが出てくるそうだ。
目や耳が次第に悪くなり、足腰が弱ってくる、今まで当たり前に出来ていたことが難しくなり、だんだんと出来なくなる。
そんな話を聞いていると年を取ることが嫌になってくる。年を取ると言うことは強い体や能力がどんどんなくなっていくことのような、自分からいろんなものが少しずつはがされてなくなってしまうことのようなことなのだろうか。だとしたら年を取ることはただただ苦しく嫌なことでしかない。年を取るということは、嫌で嫌で仕方ないのに否応なくやってくる厄介者がやってくるようなものなのだろうか。
先日こんな言葉を目にした。
「老齢は山登りに似ている。登れば登るほど息切れするが、視野はますます広くなる。」(イングマール・ベルイマン)
朽ちるものだけを見ているならば年を取ることは嫌なことが増えていくばかりのようだ。しかし年を重ねることでいろんなことが見えてくるならば、それはまた楽しいことではないか。どんなものが見えてくるのかを聞かせて欲しい、なんていうのも若気の至りなのだろうか。
「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。」(旧約聖書 箴言16章31節)