牧師のひとり言の目次
蜘蛛の巣
人間は周りとの繋がりの中で生きている。それは蜘蛛の巣のようなものかもしれない。自分と周りとのいくつもの繋がりによって支え合って生きている。
人はいろんなものを持つことを願う。地位も名誉も才能も学力もいっぱい持って、自分が大きくなることを願う。自分がどれほど立派で、どれほど正しいかということを気にすることが多い。しかし自分が大きくなることで却って周りとの繋がりが弱くなることがある。自分がこんなに立派に正しくしているのに、あいつらは何なのだと思ってしまいがちである。
しっかりとした繋がりを多く持つことで人は安定する事ができる。自分がどれほど立派に大きくなるかを求めるよりも、太いしっかりとした繋がりを求めた方がいいように思う。
イエス・キリストは、「神を愛せ、自分を愛するように隣人を愛せ」と言う。愛し愛される関係を持つことで人は生きていける、だから愛という繋がりがあることでしっかりと支え合いながら生きなさいということだろうと思う。
繋がりを持つということは、相手の間違いやだらしなさを赦し受け入れるということでもある。そうでなければ繋がりは持てない。自分も間違い、だらしない人間であることを認めることだろう。お互い様なのだ。お互いに赦されねばならない人間なのだ。
「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマの信徒への手紙12章15節)
それは一人の振動から周りも少しずつ揺れる蜘蛛の巣のような関係なのではないだろうか。